昨年9月から読み始めた清少納言の『枕草子』は、2月16日に最終の6回目の講義をもって終了しました。枕
草子の冒頭『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、すこし明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる』が
有名で、私も高校の古文の授業で習いました。しかし、枕草子に跋文という「あとがき」があること、紫式部が清
少納言を日記で批判していること、清少納言の教養の豊かさ、藤原氏ら平安貴族の確執などを今回はじめて知りま
した。
知識をふやすことは創造力や想像力を深めることになるといわれています。
『蜻蛉日記』の作者は藤原兼家と結婚、その子道隆との間に枕草子にかかわる中宮定子や伊周をもうけます。
清少納言は親しい藤原行成とのやり取り(129段)で、中国の故事で斉の孟嘗君が函谷関を家来のまねた鶏の鳴
き声で通過したこと(「史記」)を知っており、見事な返答をするのです。『私とあなたとの間にある逢坂の関は
決して開くことはありません』と。
それが百人一首の『夜をこめて 鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』という一首です。
私は一昨年の秋晴れの日、大宰府天満宮から菅原道真も聞いたであろうわが国最古の梵鐘(国宝)がある観世音
寺、さらに中宮定子の兄・藤原伊周が左遷され勤務した大宰府政庁跡までひとり歩きました。歴史を想い感慨深い
ものがありました。
観世音寺 太宰府政庁跡 |
講義終了後、場所を徳樹庵に移して、「新入会員歓迎と及川先生をかこむ昼食会」には20名が参加しました。
各自が自己紹介などフリーに語り、お互いを知るチャンスとなりました。その後、をのこ五人と先生は一緒に飲み
なおしけり、いとをかし。(^_^)
葵の会は、サークルのスタート時の『能と源氏物語』の原点に立ち返り、3月は能のDVDの鑑賞の後、4月か
らは竹内先生(観世流)による能と伊勢物語など「能と古典を組み合わせた講義」を7月まで予定しています。
みなさんのご参加をお待ちしています。 (完)
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