葵 の 会                活動報告           ところざわ倶楽部

満開のサクラをたのしみました
     江戸以降の歴史を学びながら
2019 3 31 記  島川 謙二



 321日のサクラの開花宣言が27日に満開となって、恒例の「葵の会お花見会」は、まさに絶好の日よりの28日に開催されました。今回初めての試みとして所沢駅集合ではなく池袋駅集合(午前10時)としました。
結果はオーライで、10人(女性4人 男性6人 他サークルから1名)でした。

皇居東御苑・大手門前は天候もよく外国人もふくめて100人ほどが荷物検査のため並んでいました。



▼皇居東御苑
 新宮殿に合わせて1968年完成 21。(皇居は115)家康は1590年江戸入りし世界最大の人口100万人を有する大都市に発展させます。江戸城下の街並みの整備と大名たちを江戸のインフラ整備の競争に当たらせ、幕藩体制を確立するのです。大手門は伊達政宗が担当、戦災で焼失、1967年復元。10万石以上の譜代大名が警護に。大手門の枡形内の鯱は明暦の大火後に再建された渡櫓門のもの。 
 同心番所には与力、同心が詰めて、ここで水戸、尾張、紀州以外の大名は駕籠から降ろされました。
二の丸庭園は家光が小堀遠州に造らせた池泉回遊式庭園。
 大番所は格上の所ですが修復中でした。汐見坂は二の丸と本丸をつなぐ坂道です。当時は日比谷の海が見えたので付けられた名前。

 
本丸跡は13。江戸城は1863年に焼失しました。今残る天守台は家光のとき前田家が造りました。


    



    





 諏訪の茶屋は1912年に吹上御苑に建てられ移築されました。富士見櫓は現存する唯一の櫓で1659年建立。
松の廊下址は、1701年(元禄14年)浅野内匠頭の吉良上野介への刃傷事件があったところ。 
 1時間ほどすごし、八重洲口・さくら通りの満開のサクラをたのしんで日本橋へ向かいます。


    








   


▼日本橋 3000億円以上かけて上を覆う高速道路の地下化計画が進展中です。 
 銘版の字は徳川慶喜。東京市長・尾崎行雄が依頼。長さ49m 幅27m。1911年完成 第19代目の橋。石材は花崗岩で、茨城県笠間市産。東京駅、最高裁判所、日本銀行などにも使われています。
 橋の中央部を起点とする日本の7道路の道路元標や、トルコへのアジアハイウエー2万㎞の高速道路元評(2005年)でもあります。本来の麒麟には翼はないが『飛び立つ』願をこめて翼があります。柱の模様には各街道の一里塚の榎、松を入れた。森鴎外の提言。欄干や地面に焼夷弾の跡も。


    


▼福徳神社 芽吹稲荷。貞観年間(859年~876年)から鎮座し、家康も15908月に参拝。源義家や太田道灌を合祀。新社殿は2014年完成。

    


 ここで現地解散して中華料理、シューマイで有名な「小洞天」グループと蕎麦で有名な「利休庵」グループに分かれて「葵の会のお花見会」はたのしく終了しました。

 なお、この原稿には仲山富夫さん、竹内寛さんから貴重な写真の提供をいただきました。
 ありがとうございました。(完)

  


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