実施日:2016-03-02(水) ■参加者:24名 ■場所:ふらっと 会議室
私たちが毎日飲んでいる“お茶”について知っているようで初めて聞くことばかり・・目から鱗の2時間でした。
鎌倉の僧がわざわざ狭山茶の托鉢に来ていたという話も驚きでした。
長い歴史を経て、この一服のお茶が味わえるのかと思うと、もっとたいせつに頂かなくては・・と思いました。
*お茶の飲み方 煎じる→点てる→淹れる(時代の古い順)
{日本茶の歴史}
1.奈良時代後期~平安時代前期
遣唐使として唐に渡った僧が仏教の儀式に使うため、茶を日本に持ち帰った。
◎密教儀礼の修法檀(天台宗・真言宗など)
◎日吉茶園・・・天台宗の総本山、比叡山延暦寺の山麓にあり最澄が作った茶園。
◎最澄が空海に茶を贈ったというエピソードが手紙で残っている。
2.平安時代後期~鎌倉時代
日宋貿易や,禅宗の僧などによって、宋の時代の点茶法による新しいお茶の飲み方が日本に伝わった。
◎栄西(ようさい・えいさい)
1141~1215・天台宗と臨済宗を修めた僧
宋に2度渡った栄西は、『喫茶養生記』という書を著し、茶に様々な薬効があることや
又、宋代の点茶法による製茶法、喫茶法を説いた。
◎僧から武士へ・・・・・栄西が将軍・源実朝(二日酔いに苦しんだ)に茶を献じたと吾妻鏡』に
書かれている。
◎鎌倉幕府の中国禅導入・・栄西から約40年後京都に対抗する新しい宗教・文化の導入として
中国(宋)から高僧を招き、禅宗寺院を開く。
◎禅宗と茶・・・・・・・中国式の寺院生活をそのまま導入。日常的に大量の茶を消費した。
3.自然科学から見た日本茶の伝来
日本に伝来したチャノキはCamellia sinensis var sinensis=中国種
4、狭山茶はどこでつくられているのか?
主に台地で作られる。
入間市50%・所沢市20%・狭山市13%
5.文献に登場する鎌倉・室町時代の茶産地
河越茶・・・無量寿寺(川越市 現・中院、喜多院)の茶
慈光茶・・・・慈光寺(ときがわ町)の茶
6.狭山茶のルーツを訪ねる
(1)河越茶
◎無量寿寺・・最澄の弟子、円仁{794~864}が開山
比叡山延暦寺から茶が伝わった。
◎河越氏・・・秩父平氏の流れをくむ武蔵武士の名門。
(2)慈光茶
◎慈光寺・・・中世の関東天台宗の拠点
比叡山延暦寺から茶が伝わった。
鎌倉時代・・将軍・源頼朝・鎌倉幕府の祈願時となる。
京都の藤原摂関家(九条家)とも繋がる。
◎栄朝・・・・栄西の弟子が慈光寺に住職を務める。
◎慈光寺の僧坊跡・・かつての僧の住居跡「一山七五坊」といわれた
現在、山内に野生化したお茶の木が残る。
(3)戦国時代
無量寿寺・慈光寺とも灰燼に帰すと同時に茶の産地も荒廃した。
7.江戸時代
◎隠元(1592~1673)などにより明時代の釜炒り煎茶が伝来。
◎淹茶法・・・・急須に茶葉を入れる飲み方。
(1)江戸時代中期
◎永谷宗円(京都宇治}により「蒸し製煎茶」の製法発明。
(2)江戸時代後期
1750年代頃から宇治から江戸に「蒸し製煎茶」が流入。一般庶民に広がる。
8.茶作りの「復興」
困窮にあえぐ農家の生活を少しでも楽にするため換金作物「蒸し製煎茶」を・・
吉川温恭・村野盛政・指田半右衛門や山本嘉兵衛(山本山5代目)らが尽力した。
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