ところざわ倶楽部            活動報告    野老澤の歴史をたのしむ会


2017年「渡辺先生を囲む座談会」  

神々とヤマト国家-神と国のなりたち-


2017-8-10    記 小川 雅愛

 

■実施日時    2017年 83日(木)15:00~16:5017:0019:30  

■講座(座談会)  明治大学文学部名誉教授 渡辺 隆喜先生

■会 場     座談会―新所沢公民館 1号室 参加者 19名(食トコ会より2名)

        懇親会兼暑気払いー「天狗―新所沢店」  参加者 13名

 

1.本年度の座談会の経緯とテ-マについて

1) 当座談会は渡辺先生ご専門の明治維新期の近代史を毎年取り上げて開催してきました。

 今回は千年以上さかのぼる古代史を取り上げることとなりました。
 
 これは数年前にある席で先生から“全国の一の宮神社(約70神社)の9割は歴訪”とのお話をお聞きしたのが始まり

で、なぜ古代律令期の神社研究を取り入れておられるのか、疑問をもち、先生にご相談の結果、会の皆様には古代史で興

味深い講座ができるだろうとのことで実現しました。


 当然ながら、神々を取り上げることや神社訪問は特別に宗教心があってのことではないと予めことわられて、講座を展

開されました。



2)本日の講座のキーワードは「和」で、これが最も大事なポイントでした。

 「倭」、「大倭」から「大和」へ、「和」の思想がどこから生まれ、どのように変わっていったか「和」の思想は古代

で中断するが、明治維新、そして現代日本の「平和」の「和」へと続く。

 日本の古代史研究は、「和」の思想が時代の進展とともに「上下的な統治」の思想にどのようにして変わっていったの

か、ここのところを解明し、解答を与えてこそ価値があるとまで述べられました。


 同時に、ただでさえわかりにくいヤマト国家の形成過程や古代史のナゾをレジュメ(5ぺージ)と最新の学術研究の成

果を含む添付資料(6枚)を使って、克明にしかもわかりやすく講義いただき、古代史の前半部が丸ごとわかったような

気がし、よかったというのが実感でした。



3)先月は世界文化遺産に登録された「神宿る島 沖ノ島」が脚光を浴び、また、つい最近は仁徳天皇陵古墳を含む「百

舌鳥・古市古墳群」が次の世界文化遺産候補として登録を目指すと、古代史関連ニュースが続き、よいタイミングの講座

となりました。



2.講座の流れ

 ①「記紀」と日本神話、 ②「神」と古代人、③初代王権と三輪神社、④ヤマトと邪馬台国、⑤大和朝廷と外交問題 

の項目立てで進められました。

つまり、3,4,5世紀のヤマト政権の成立期の検討が課題でした。

以下に、講座のヤマの部分と印象に残った事柄、なるほどそうだったのかと感じたことなどを断片的ですが筆者の感想と

して記します。



3.内容で強調された点や感想

■「倭」ヤマトとは古代中国人が家来とみていた(冊封されていた)日本を呼ぶときの名称。

  意味は「順な貌=従順な顔」のこと、当時は「倭国」「大倭国」でした。よく言われる「東夷」の言葉のようなバーバ

 リアン的な見方がされなかったのは意外でした。



■「日本」国の名前は、八世紀前半「大倭国」は「大養(ヤマ)()国」に、さらに後半の養老令では「大和」と表記される

 ようになる。ここで、和や徳がどこからきたのか、和はやすらぎの心であり、縄文時代の一般民衆の思想からきている

 とのこと。古代から神々(自然神=精霊信仰)との調和を重んじる多神教に起因するとの見方をしておられます。

  聖徳太子の憲法17条「一に曰く、和を以って(たっと)しとなし、・・・」の和も突然出てきたのものではないとの説

 明に納得です。


  原理主義からくるテロの脅威、紛争など多発している現代世界で、原点である古代の「和の思想」を検証してみるのは

 大事であると感じます。



■古代の5、6世紀は「倭王」「王」「大王」は独裁政権ではなく、豪族と連合政権であった。古代史は中国的な「倭」

 と日本的な「大和」への相克の課程=従順から自立への歴史過程であることがよくわかりました。



■資料紹介では、日本人がどこから来たのか、よく言われる騎馬民族征服王朝説、揚子江稲作ルート、その他カムチャッ

 カルート、南方ポリネシアル-ト、小笠原ルートの5つが説明されましたが、これが記紀の神話に関連し、北方系の神

 様、南方系の神様につながっていることがわかりました。神話も実際に起こった出来事を言い換えているのだというこ

 とがわかります。



■独自の文字を持たなかった3~5世紀のヤマト王権の成立過程を研究するためには「中国側資料」「記紀の記述」「考 
 古学的研究」の3つの視点の研究成果が大事で、そのことを中核に本日の講義は展開していましたが、ここで特に研究

 が進んだのは「
(まき)(むく)遺跡の発見」であると、古くからの邪馬台国近畿説や古代王朝が連合政権であることなど

 も大規模な政治・宗教都市「纏向」の研究成果の積み重ねをもとに解説いただき、納得できました。



■アマテラス大神について、女性、巫女をしめすことから卑弥呼と同一説は現代では消滅したとのこと。アマテラスは太

 陽神信仰、世界の太陽神信仰の神様はすべからく男の神様、本来は男の神様(伊勢神宮や夫婦岩から)であったものを

 記紀を編纂した女帝持統天皇と藤原不比等が改ざんしたのはほぼ定説になっているようです。


■高天原には国内説11か所、海外説は北方系、南方系。アマテラス神話(高海原)の諸説があり。

  日本神話は海外説の同じ北方系、南方系、アマテラス(海人)の三層構造をしているということです。海人は長野の

 安曇野、愛知の海部などの地名に残っているとの説明でした。

  出雲神話の「国譲り」は高天原(北方系)対高海原(南方系)の国家統一のための支配権をめぐる衝突と解釈されると

 のことです。



■出雲の荒神谷遺跡出土の銅剣352本はこの地域の神社の総数と合致する。すなわち縄文時代の神々の連合体であった

 とのことを意味するようです。


  国譲りに反対した神は当時の東山道の辺境 諏訪へ国替えされたようです。諏訪上社、下社も出雲系の神様となりま

 す。

  また、大宮の氷川神社も出雲系など東国でもかなり出雲系が大きな影響力を占めていたようです。


■第10代の崇神天皇(神武天皇説もあり)から史実と考えられていて、崇神王朝は三輪王朝とも言われ、三輪神社(大

 神神社)を祭っていました。初代王権であるこの王朝は4世紀から飛鳥時代まで豪族との連合政権を形成(舞台の纏向

 に存在した王朝を囲むように出雲系豪族などとの平和共存関係)、その後は王権が勢力範囲を拡大していったことを地

 図で示していただきました。



■大神神社(三輪神社)は三輪山がご神体で、日本最古の神社ですが、三輪の三とは十二支の卯 辰 巳の巳=蛇、 輪

 とは蛇がとぐろを巻いている状態、当神社が古代人の崇拝する蛇信仰(出雲系)であることを示していると解説されま

 した。三輪山信仰はやがて太陽神の性格を強め、6世紀に大神神社、伊勢神宮、大和神社(戦艦大和はここから来た)

 の3つに分化されました。



(はし)(はか)古墳は卑弥呼の墓ではないかと言われていますが、魏志倭人伝の記述と実測した箸墓古墳の規模が一致する

 ことに根拠があることを初めて知りました。


 この箸墓古墳ができた時代以降 祭祀の女性から男性へ転換=「天皇霊」(天照大神)をうけついでいく首長霊信仰へ

 =社会が母系から父系へ大きく転換していったとの説明でし
た。


●懇親会はやや参加者が少なくなりましたが先生を囲んで、いつも以上の和やかなひと時を過ごすことができました。


 
以上まとまらない活動報告となりました。


  先生はご定年後の古代史研究のために全国の一の宮神社研究にお出かけになられたとのこと、また、この講座にあた

 って60数冊の文献資料を参照されたとお聞きしました。
わかりやすい古代史講義で、感銘を受けました。ぜひ続編を

 お願いしたいと思っています。


 
   
   


担 当:三島昭雄・小川雅愛・安田好子