ところざわ倶楽部            活動報告    野老澤の歴史をたのしむ会


所沢市立埋蔵文化財調査センター訪問


2017-11-07    記 中村 宣夫

 

■実施日:201711月2日(木)  ■参加者:21    ■場 所:所沢市北野二丁目



 11月2日(木)秋空の澄み渡った日、所沢市北野にある「所沢市立埋蔵文化財調査センター」を訪問した。目的は所沢市内か

ら「発掘された埋蔵文化財を通じ所沢の歴史を知ること」及び「板碑の拓本をとること」である。



 埋蔵文化財調査センターは平成6年4月に会館しました。現在、所沢市内には166箇所の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)が在るそう

ですが、そこで発掘された埋蔵文化財の発掘調査・保存、更にその文化財を通じ所沢市の歴史を知る上で重要な資料として活用を

図る活動をしています。


 また、今回のように我々市民に対する埋蔵文化財情報の提供及び保護意識の啓発広報活動などをしています。


 当日、埋蔵文化財調査センターの「安藤様」に館内の案内、展示物の説明をして頂きました。

 まず玄関ホールを入ると正面に所沢市内の埋蔵文化財包蔵地の立体地図が展示されていました。砂川堀、東川沿いなどの川から

少し離れた高台にたくさん分布している様子が分かりました。


 また、その様な跡から少し離れ川沿いや平地部にも包蔵地がありました。これは、その頃の住人が狩りに出て、獲物を待つ間、

あるいは捕獲した獲物を処理するための言わばキャンプ地の役割をした所だそうです。今の言葉で言えば“サーバー・アンド・ク

ライアントシステム”と考えると、生活を便利にするためには古代人も今の人も同じ様なことを考えるのですね。



    



 さて、正面に目を移すと埋蔵文化財が左側から古い年代の物から新しい時代の物へと順に展示されていました。所沢市にあった

埋蔵物包蔵地で一番古い年代の物は何と旧石器時代のものでした。約20,000年から30,000年前のものです。昔から人は住んで

いたのですね。場所は三ヶ島三丁目。畑のなかです。主な出土品は“土器”、“石器(石斧、矢じり)”など、又
鎌倉時代以降は主

に城跡などから板碑なども多数見つかっています。



 土器の発明は当時の人の生活に大変大きな影響を与えたのですね。それは食生活です。今までは生で食べるか、焼くしか調理の

方法はありませんでした。それが土器の発明により“茹でる、蒸す”など多様になり、またある程度保存も出来たのではないでし

ょうか。食事を囲みながら家族に団らんも進んだことでしょうね。


 縄文土器というと文字通り“縄“の模様の単純なものという様に思っていましたが全く違いました。表面に様々な模様が施され

ていました。螺旋状の何か草花の様な模様、直線的な線を組み合わせた幾何学模様。形も画一されず様々でした。しかし、奈良時

代になると大量生産ができるように型を使っていたということですし、使う人の身分により形状・大きさが決められていたという

ことです。中央の政治の力・影響が大きかったのですね。



 もう一つの出土品“矢尻”。皆さん矢尻の材料は何だか知っていますか。「黒曜石」が使われたそうです。しかし、所沢には黒

曜石は在りません。ではどうして。実は、東京湾沖の島から房総半島を伝ってきたということです。古代人の交流の広さを感じ

ますね。今の感覚で言えば地球の反対側南米の地域と貿易をしている様なものでしょうか。



 埋蔵品というと上記の様に土器、石器を思い浮かべると思いますが、中世以降になると意外なものが有ります。それは“銭”で

す。この時代、日本ではまだ公式の貨幣は作られていませんでした。野竹遺跡は5千枚もの銭が出土しました。これは主に中国銭

だということです。この外にはベトナム、朝鮮、琉球などの銭が中国経由で輸入されていました。なぜ銭がでてきたのでしょうね

?きっと土の中に埋めて隠しておいた銭を、何かの戦乱の時に探し出せず、泣く泣く置いて行ったのかもしれませんね。



 前半の埋蔵文化財の話はこれ位にして後半の「拓本」の話をしましょう。その前に「板碑」の歴史を見てみましょう。

「板碑」は鎌倉時代から室町時代にかけてが盛期でその後戦国時代にかけて衰退し少なくなっていった。また板碑は自由に作られ

ていると思っていましたが、盛期には沢山の注文にすぐに応じられるようある程度形式が決まっていた。板碑のどこに何を書くか

幾つかのパターンがあり、その中から好きなものを選び自分の名前だけを指定するというやり方です。末期になると、板碑形状や

表面などが粗雑になり、字の彫りも乱暴になって来たようです。


 さて拓本ですが、手順は、板碑に画仙紙を乗せ、水を含ませ、板碑に密着させます。ある程度乾いたところで墨の付いたタンポ

で叩くと文字が浮かび上がって来ました。参加者の作品を見ると、板碑の盛期の時のものと、末期の乱雑な物とではやはり出来に

違いがありました。


 「安藤様」の実物を見ながらの判り易い話で参加者は皆納得顔でした。「安藤様」に感謝します。


   


 午後から、小手指ヶ原古戦場跡碑、白幡塚を経由し砂川遺跡を見学にいきました。昭和40年(1965)所沢市西部の三ヶ島地

区に住む、故本橋清さん(当時所沢市文化財保護委員)が自分の畑でゴボウを掘っていたところ、石器の破片を見つけ、それは先

端を尖らせ、また鋭く長い刃をつけた、ナイフの形をした石器でした。
昭和41年に明治大学により最初の発掘調査が行われ、出

土したナイフ形石器は国の重要文化財に指定されています。砂川遺跡は、出土した石器が後期旧石器時代の一時期(およそ2万年

13000年前)を代表するものであること、一連の調査により石器の製作過程を復元したことの2つの点で、大変重要な遺跡

となりました。

 現在、砂川遺跡は、出土品跡が示されているだけで余り面白みは有りませんが、2月頃になると「福寿草」が一面に咲いていま

す。時間があれば、ではなく時間を作って行ってみてはいかがですか!


 
 最後に、トトロのふるさと基金が活動拠点としている「クロスケの家」を訪問しました。

家の周囲を茶畑に囲まれ、裏手に小川のせせらぎと竹林、屋敷林に囲まれています。中庭では昔ながらの農具を使いお米

の脱穀作業などをしていました。非効率とは思いましたが、自然を守ろうとする意地がうかがえました。






                                担当:安田 好子、粕谷 昇、中村 宣夫