ところざわ倶楽部            活動報告    野老澤の歴史をたのしむ会


三ケ島 葭子の足跡を訪ねる

―資料室&歌碑―


2017-5-20    記 小川 雅愛

 
  ■実施日:2017-5-18  ■参加者:17名   
 

 ■ 行 程:三ケ島 葭子資料室(三ケ島まちづくりセンタ-内)、中氷川神社の歌碑および生家三ケ島家付近の散策等 

 ■ 配布資料:三ケ島葭子資料室パンフ(市教委発行)、経歴資料(市民ボランティア作成)

 ■ ご協力:資料室市民ボランティアガイド 山田さん、田中さん ふるさと研究グループ



◆活動にあたって:


“はるのあめ けぶるけやきのこずえより おりおりつゆのかがやきておつ”

“しみじみと 障子うすぐらきまどのそと 音たてて雨のふりいでにけり”

 2つの印象的な歌碑がそれぞれ三ケ島の中氷川神社と宮本町の所澤神明社の境内にひっそりと建っている。

 今年、所沢ゆかりの歌人 三ケ島葭子が407か月で没してから、90年の歳月を刻んでいる。昨年が生誕130年の節

目の年であったので、三ケ島葭子を偲ぶ「吾木香忌」など、より一層活発に催されてきている。短く、必ずしも恵まれたと

は言えない40年の生涯に6000首を超える短歌を創作し、歌人仲間から絶賛される優れた作品も数多く残されていて驚嘆

のほかはない。昨年来のメモリアルなこの時期に優れた郷土の先哲の人となりと短歌の文化を改めて感じるべく、この活動

を実施した。


◆三ケ島葭子資料室: 研修

〇資料室へのアクセスと経緯

 資料室のある三ケ島まちづくり-センタ-はマイカ-以外では最寄りの狭山ケ丘駅から歩くには遠い。本数の少ないとこ

ろバスが唯一の交通手段であり、施設の見学に不便でやや残念なところである。

狭山ヶ丘駅東口935分発の三ケ島循環 ところバスで出発し、952分に到着した。

 資料室は4月から10月の7か月間、月に1回(火曜か土曜)市民ボランティアによる解説日が設けられているが、本会の

活動木曜日にあわせ、特別に市民ボランティアの解説をお願いしたところ、快く二名の方にご協力いただいた。



〇ビデオ映像鑑賞 10:0010:30

 三ケ島葭子の生い立ちから生涯を全うするまでの波乱に満ちた経歴や業績のビデオを鑑賞した。三ケ島葭子の伝記的な図

書と比べ、短時間でコンパクトにまとめられ大変わかりやすかったように思う。



○映像から感じたこと、

 映像は現代の風景であるが、緑が多く山野に親しんだ往時を十分にしのばせる。

葭子の作品に四季折々の花をテーマにした数多くの作品があるが、こうした映像から十分感じとれた。

 葭子の幸せな時期の短歌515首を収めた処女歌集(自費出版)「吾 木 香」、表題の由来は定かでないが、薬用植物 わ

れもこう(漢方薬にもなる)の絵が見える。想像ながら、多感な時期から病弱がちで、ご自身の健康を願ってつけられたよ

うに思われてならない。


 子供に慕われた教員時代では、現代と違って教師は聖職として男子教師が重視された時代であろうと思う、職場では男子

教師ばかりのなかで、唯ひとりの女教師ながら、堂々とした姿勢で会議に臨んでいるスナップ写真は自分に対する自信と意

志強さが表れているように感じた。


 わが子を想う短歌にたびたび登場する長女みなみさんご本人のビデオ映像を見ることができたのも良かった。母に対する

想いを語る場面では、優しかったことを強調されていた。教師経験があり、自分を厳しく律した生き方をした母親にも拘わ

らず、現代で言う教育ママ的なところは決してなかったとコメントされていたのが印象に残る葭子像であった。


   

      

展示資料室解説 10:3011:00 

 ボランティアの方は音声ガイドをもとに解説された。ビデオ映像で見た経過を実際の資料で検証する感じであった。

葭子の日記や日誌(おもに友人やわが子、師とする人などとの書簡集)の生の資料を多く見ることができて、臨場感が高ま

った。女性らしいきれいな字で丁寧につづられており、誠実な人柄を感じさせられる。

 掛け軸の短歌の秀作も周囲に展示されていて、じっくり鑑賞するには時間が十分ではなかった。

日記とは別に、「できるだけ多くの歌をよむこと、健康であること‥‥」を紙片にしたため、座右の銘のように掲げてあ

るのが印象に残った。こうした目標があったから多くの歌をよめたのだと思う。

 各人、説明の合間にガイドに質問して、疑問点を解決して資料への認識を深めていた。

◆中氷川神社 歌碑鑑賞 ほか 11:25~12:00

〇歌碑鑑賞

 中氷川神社の歌碑は 生誕地に因んで、有志の方々の寄附をもとに建立されたと聞く。

三ケ島まちづくりセンタ-(公民館)から最短距離の小道を20分ぐらい歩き到着、ここまではガイドはつかないので、自

力で見て歩いた。

 ここの碑は神明社の碑に比べ、文字がくっきり刻んであって読みやすい。どういう情景のもとで読まれたのか推察するし

かないが、三ケ島葭子百首選にも掲載されている秀作の一つである。碑をバックに記念の集合写真を一枚撮る。



         


〇生家付近

 生家である建物は現在ないとのことだが、現在の三ケ島家のそばであると聞いていたのでその近辺を散策した。現在の三ケ

島家の敷地の隣接地のようだ。たまたま草取りをしていた近所の人に尋ねてみると、確信をもってここだと教えてくれたので

皆さん納得したようだ。その後、有名な俳優 左卜全(本名 三ケ島一郎 葭子の異母弟)の墓所にお参りして今回の勉強の

部を終えた。そろそろお昼時、すぐそばの早稲田大学の学生食堂を今回もお世話になることにして、活動をおえた。



◆おわりに

 三ケ島葭子は生まれた所沢で過ごした時期は短いが、長女みなみさんに会うためたびたび所沢を訪ねた。当時の所沢を舞台

にした多くの作品を残している由。同時代の所沢は飛行場が開設されて、発展しつつある時期と重なっているようだ。あまり

にも短命であったためか、同時代の歌人に比べ、十分に認知されていないのは惜しい。


 ただし、小学館の百科事典には項を設けて、大正期の代表歌人の一人として掲載されている。現在も、「吾木香」選が行わ

れ、一般の入選作に交じって、小学校の部の入選作が選ばれたとのニュースを聞く。緑と文化の風土に誇りを感じるささやか

な活動になった。


“わが窓に よそのあかりのさしそめて 冬のひと日ははや暮れしなり”‥‥‥。 

                                担当:小川 雅愛・大山 豊