ところざわ倶楽部            活動報告    野老澤の歴史をたのしむ会


所沢の鉄道遺跡探訪


2016-06-08    記 池田 衞

 ■実施日:2016年6月2日(木) 参加者:14名   

 2年前の6月、中央公民館で「所沢の鉄道119年―12の停車場物語―」の講座を行った。今回は講座で取り上げた所沢地区に残

されている鉄道遺跡を探訪した。


 狭山線西武球場前駅に8時50分集合。駅前で、当駅は昭和4年~5年にかけて、三つの鉄道会社が競い合い、多摩湖・狭山湖周辺

に五つもの駅を開設した駅の一つであることを説明した。最初の駅は、昭和4年武蔵野線の支線山口線として現在の駅から600

多摩湖寄りに開設した村山公園駅です。



 下山口駅に向かって約1.0㌔歩き上山口停車場跡地へ。停車場の場所は現在、西武鉄道の資材置き場となっている。当駅は、主とし

て山口貯水池(狭山湖)の堤体材料搬入のために山口線開設時に設置された。山口線は、昭和19年不要・不急線として休止となり、

上山口停車場は昭和29年休止中のまま廃駅となった。



 停車場跡地から約1.5㌔歩き下山口駅で乗車、西所沢駅へ。駅前広場に西所沢駅開設の経緯を記した碑がある。碑の名称は「小手指

火車站創設之碑」。火車站は停車場を意味します。大正4年武蔵野線創設時に開設された西所沢駅は小手指停車場と称していた。


 西所沢駅から川越鉄道開設の事務所なっていた求友館に向かう。現在の求友館は元町公民館となっている。開設当時求友館に掲げ

られていた川越鐵道株式会社の看板は、野老澤町造商店のある斎藤様宅にある。



    

上山口停車場跡地          小手指火車站創設之碑            求友館  


 東町ファルマン通りの交差点にある飛行機新道標識は、明治44年所沢飛行場開設時に所沢停車場から飛行機の部品を運搬するため

に築造した道を示す標識です。航空公園まで500mと表示している。飛行機新道が出来るまでは、駅から牛車で坂稲荷前の旧道の坂

道を通り、飛行機新道の整備に伴い東川に架けられた旭橋を渡って運びました。旭橋は昭和5年空都所沢にふさわしいモダンなデザ

インの現在の橋に架け変えられている。平成21年、国の登録有形文化財に指定される。



 昭和13年、所沢飛行場関係者の乗降客を旧西武鉄道と武蔵野鉄道が新駅を作って競合しました。


 旧西武鉄道が旭橋際の新設した駅が所沢飛行場前駅です。昭和15年防諜のため所澤御幸町駅に改称された。昭和26年、米陸軍所

沢兵站センターから軍需物資を搬出入する側線を直接西武線の線路に接続するとダイヤに支障をきたすため駅を設置する必要が生じ

た。そこで、所澤御幸町駅を移動させて北所沢駅(現新所沢駅)とした。



    

飛行機新道標識                             所澤御幸町駅跡    



 東川沿いに歩き、熊野神社脇を通り千歳橋を渡る。能面美術館前を通る。この道は前述の武蔵野鉄道が所沢飛行場関係者のため、

昭和13年新設した所沢飛行場駅から飛行場へ行く道です。旭町の踏切が駅のあった場所です。昭和15年防諜にため東所沢駅に改称

され、昭和20年廃止された。


 昭和13年当時は、旧西武鉄道と武蔵野鉄道は競合する関係でしたが、昭和18年頃には両鉄道社長は堤さんとなっていましたの

で、飛行場の正門に近い所澤御幸町駅を残し、利用者の少ない東所沢駅を廃止したわけです。

 1130分に予約していた徳樹庵に到着。各人思い思いに注文し昼食を摂りました。

 1時間の昼食・歓談の後、所沢駅舎2階にあるトコニワを見学した。そこは線路を見渡せる展望場所となっていて、休息もできます

。特筆すべきは、旧所沢駅舎改装前の2・3ホームに使用していたレールの支柱、ホーム土台に使用していた大谷石が展示されてい

ることです。



    

                       所沢飛行場駅跡         トコニワ(レール・大谷石)    


 所沢駅で乗車し東村山駅へ。駅前広場に東村山駅建設に関わる碑がある。明治27年、川越鉄道が所沢市との境を流れる柳瀬川の鉄

橋を築造する際、地元住民が度々起こる柳瀬川の洪水のため計画された橋脚の幅を広げるよう陳情するなど反対したので、鉄橋の建

設が出来なかった。やむなく、鉄橋の手前に久米川仮停車場を作り開業した。翌年4月、川越駅まで全線開通すると久米川仮停車場

は廃止となった。そのため、東村山の住民約250人が鉄道会社に陳情し、駅舎用地・駅舎建設費を寄付することで現在の東村山駅を

明治288月に開設した。その経緯が碑に述べられている。東村山住民の鉄道に対する愛着は、碑の横にある鉄道開通100周年記

念碑設立を見ても伺い知ることが出来る。


 線路沿いの道を歩いて、化成小学校前から西武線の踏切へ。西武園線がカーブを描いて西武新宿線と離れる場所に仮停車所が建設

された。現在は西武鉄道の宿舎となっている。


 昭和19年から西武鉄道が東京都の依頼を受けて始めた糞尿運搬の貯留槽が宿舎の裏手に造られた。本線から貯留槽へ運搬するため

の線路跡が踏切付近に残されている。



 久米川仮停車場跡から数分の所にある東村山ふるさと歴史館に立ち寄る。歴史館には川越鉄道に関する資料、展示コーナーがある

。川越鉄道のビデオを鑑賞する。


 東村山駅に戻り1416分自由解散した。


    

鉄道開通百周年記念碑              糞尿貯留槽運搬路跡・久米川仮停車場跡




                       東村山駅開通記念碑