■実施日:2016年6月16日(木) ■参加者:9名
3年前の7月、地元所沢の荒幡富士を訪ねてから、今回で富士塚巡りは6回目となる。前回まで11ヵ所の富士塚巡りをした。地
元埼玉の富士塚は手元資料でざっと200ヵ所、都内は50ヵ所を数える。前回まで巡拝する富士塚の選択は、講談社α新書『ご近
所富士山の「謎」』富士塚御利益散策ガイドの推奨する富士塚を選択した。今回から無理なく歩けて、感銘の得られる富士塚を
選択した。結果はいかがであろうか。
■上落合富士:新宿区上落合1-29-16
所沢駅9時5分発各駅停車に乗車。下落合駅下車、落合水再生センター添いの道を歩いて月見岡八幡神社境内にある上落合富士
へ。境内は神社が経営する幼稚園の遊び場となっていて入口は閉鎖されている。女性の園長さんの案内で富士塚を見学する。
上落合富士は、享和1(1801)年に築造。昭和2(1927)年に上落合大塚に移築。さらに昭和37(1962)年に神社の移動と共に
現在地に移築された。熔岩性で高さ4m。コンパクトで庭園の築山のような富士塚である。庭師の力量がうかがえる逸品と評され
ている。
再び上落合駅に戻り、西武新宿駅へ。
烏天狗と大天狗 上落合富士 |
■新宿富士:新宿区新宿5-17-3
西武新宿駅から靖国通りを歩いて花園神社境内にある新宿富士へ。花園神社へは数回参拝しているが富士塚があることは知ら
なかった。下見の時もいささか探すのに苦労した。
新宿富士は、昭和3(1928)年に築造。昭和39(1964)年に新社屋造営と共に壊され、昭和42(1964)年境内を移動して現在地
に移築されている。
高さ1.5mで7段の石段。溶岩製。昔は高さ8m。境内の北東にあり、境内の入口付近。小さいので見落としやすい。今まで巡
ってきた富士塚と全くの違いは、荘厳な富士塚と周囲を囲む派手な看板。浅間神社が芸能浅間神社となっているため、奉納した
芸能人の名前が書きこまれた看板がびっしり並んだ光景は壮観である。
花園神社から明治通りを高田馬場に向けて歩く。日清食品ビルのすこし先のすき屋で昼食を摂る。牛丼とカレーの看板が出てい
るが、メニューは豚丼、まぐろ丼、うな丼と多彩である。11時20分であるが早めの昼食とした。
芸能浅間神社標 新宿富士 |
■東大久保富士:新宿区新宿6-21-1
新宿6丁目再開発地区高層ビル街を通り、文化センターに隣接する西向天神社境内にある東大久保富士に向かう。天神社は崖の
上にあり、富士塚も下から眺めれば、相当の景観である。
東大久保富士は、天保13(1842)年に築造。大正14(1925)年に再築さている。溶岩製で高さ約2m。自然の大地を利用して
いる。関東大震災後に改修再築しています。周囲に講中(丸谷講)の立てた碑が多数ある。
再度再開発地区を通り、職安通り沿いの稲荷鬼王神社境内にある西大久保富士に向かう。
富士塚再建記念碑 東大久保富士 |
■西大久保富士:新宿区歌舞伎町2-17-5
稲荷鬼王神社の狭い境内のどこに富士塚があるか探したら本殿左脇にあった。狭い通路を挟んで左側に富士塚の1合目から4合
目、右側に5合目から9合目・頂上まで。おそらくこのような富士塚はほかにないだろう。繁華街の真っただ中にある富士塚の窮
余の一策と思われる。
西大久保富士は、昭和5(1930)年築造。この富士塚はもともと大きかったものを、昭和43(1968)年の社殿再建の際、二分し
てしまった。溶岩製で高さ約2m。
歌舞伎町ホテル街を歩いて西武新宿駅北口に向かう。12時30分駅改札口で自由解散した。
1合目~4合目 5合目加羅合目・頂上
東大久保富士(後方)
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