ところざわ倶楽部            活動報告    野老澤の歴史をたのしむ会


第6回「鎌倉街道」-小春日和の歩きー


2016 11 -21    記 池田 衞


 ■実施日:2016-11-17(木)  参加者:12   ■走行距離:約8.6㌔(見学時の距離を除く)


◆宿題を抱えた歩き:

 小春日和で申し分のない歩きでしたが、道中に課せられた宿題がありました。ところざわ俱楽部の会報「広場12月号」の表

紙を飾る写真の撮影です。12月号は広場100号の記念すべき号です。


 下見をした案内者によれば、旧街道の面影を伝える場所はないという。野老澤の歴史をたのしむ会にとっても記念すべき映

像をどう捉えるか、緊張した歩きとなりました。



◆横浜市瀬谷区から泉区へ:

 前回のゴール相鉄線瀬谷駅前からいずみ野線ゆめが丘駅前まで約8.6㌔の歩きです。横浜市瀬谷区から泉区への歩きとなりま

す。鎌倉街道は、横浜市と神奈川県との境界を流れる境川に沿う形で鎌倉に向かって南下します。



 瀬谷駅から前回のゴール地点に向かって出発(10:10)。相鉄線のガードをくぐり、しばらく歩いたところで珍しい風景に出

会います。三叉路の真ん中に石塔が車除けに守られるように残されています。街道添いにあるはずの庚申塔や道祖神が別の場

所に移されていることが多いです。このような形で残されているのを始めてみました。



 旧道を南に進み、厚木街道を横断し、西向きに建っている西福寺に立ち寄ります。山号を猿王山といい真言宗豊山派の寺で

す。境内には樹齢600年~800年と推定される椎の大木があります。


 西福寺のすこし先に()()があります。左馬あるいはサバ神社というのは、全国で11社しかなく、そのすべてがこ

の境川沿いにあるそうです。左馬社の先の三差路のど真ん中に柵に囲まれた数体の石塔がありました。この地区の人たちの石

塔に対する崇敬の念を感じる風景です。



    

          三叉路の石塔                  柵で囲まれた石塔         

鎌倉街道と中原街道が交差するところに日蓮宗白東山宗川寺が建っています。中原街道は江戸時代以前からある道で、東海

道が江戸時代に海沿いに移される以前、室町時代まではこちらが東海道だったといわれた道です。

 宗泉寺の境内には、横浜市の名木に指定されている銀杏の大木が参道の両側に立っています。この銀杏は雄樹、雌樹である

ため昔から「夫婦銀杏」として縁結び、安全祈願の信仰を集めていました


 全通院勢至堂
を参拝し、近くのそうてつローゼンひなた山店の一口茶屋で各人自由昼食です。


    

   宗川寺の夫婦銀杏        柳明神社裏の道標               本興寺の参道を歩く            

 昼食後は横浜市泉区の歩きです。柳明神社に立ち寄ります。この神社は廃寺になった鎌倉郡観音24番札所大石寺跡に、村

境の伊勢山に祀られていた神明社を遷したものです。神社裏の道の分岐点には、八王子道(鎌倉道)と神奈川道を示す道標が

立っています。

 東海道新幹線の高架下をくぐると右手の森が日蓮宗本山の法華山本興寺です。この寺の参道を歩く姿が、広場12月号の表

紙の写真にぴったりと判断しました。100号の表紙にふさわしい、ところざわ俱楽部のさらなる発展を示す写真になったと思

います。


 左手に鳥居が見え、鳥居の前に石塔が並んでいます。飯田神社です。よくぞ、これだけの庚申塔を集めたかの風景です。石

塔の一番左の庚申塔の側面に道案内が彫られています。



 大山道(横浜伊勢原線)沿いにある浄土宗の寺、無量寺に立ち寄ります。境内には樹齢600年以上といわれる銀杏の大樹が

あります。昔は無量寺というより「いちょう寺」と呼ばれたそうです。

 はるか先に相鉄線の高架が見えました。今回の歩きはここまでです。平成11年(1999)3月に開通した相模鉄道いずみの

線ゆめが丘駅に向かう小道を探します。

ゆめが丘駅は、野原の中にありました。(14:50)斬新なつくりの駅は、駅全体をカーブした鉄骨で囲み、鉄骨の間に屋根

や風よけの板をはめ込んでいます

 ゆめが丘駅から一駅で小田急江ノ島線の湘南台駅に接続、小田急線経由で帰ることが出来ました

担当:原 正次・佐藤 八郎  



    

飯田神社鳥居前の石塔            「いちょう寺」と呼ばれた無量寺