■実施日:2016-3-17 ■参加者:17名(他サークルから3名)
■場所:国立ハンセン病資料館・多磨全生園
清瀬駅9時に集合し、南へ約2㎞30分、病院の多い町並みを歩き、広大な敷地の多磨全生園に着いた。
先ず国立ハンセン病資料館に入り、映画「ひいらぎの向こう側に」を40分鑑賞し、概要を学んだ後、約1時間、館内で展
示物を見学した。
その後、敷地面積 358,116 ㎡の広大な多磨全生園内を散策した。朝入場した資料館とは、ちょうど反対の所沢街道側にあ
る正門を正午過ぎに出た。帰りは清瀬駅までバスに乗り、駅前の割烹「魚久」で昼食後、帰路に着いた。
多磨全生園内の納骨堂 多磨全生園内の教会 |
ハンセン病は日本にも古くからあり、国が行った強制隔離政策により多くの患者は色々な形で人権侵害を受け、差別されて
きた。
1907(明治40)年、浮浪らい患者の隔離が目的の「癩予防ニ関スル件」公布。
1931(昭和6)年「癩予防法」が制定され、患者の絶対隔離が強力に実行された。
1953(昭和28)年「らい予防法」(新法)が制定された。らいは特効薬プロミンの開発により治る病気になったが、強制隔離
は継続された。
1996(平成8)年「らい予防法廃止に関する法律」制定。らいが「ハンセン病」になる。
2001(平成13)年らい予防法違憲国家賠償請求訴訟(熊本地裁)で原告全面勝訴、確定。入所者等に対する補償金等に関する
法律「ハンセン病補償法」施行。
私は若い頃、実家から車で都内に行くときは、所沢街道を田無(現在の西東京市)に向かうのが常であった。途中600m程
ひいらぎの長い生垣の横を通過しなければならなかった。子供の頃から「らい病」は怖い伝染病で鼻が落ちてしまう、感染
したら生涯この隔離施設から外に出られない。と教えられていたので、ここを通過するのが怖いし嫌だった。正に冒頭の映
画「ひいらぎの向こう側に」の題名に象徴されていた。私は齢70を超えて本日初めてひいらぎの向こう側(既にひいらぎ
の壁は見当たらなかったが)に入った。広い園内を散策しながら、国家・国民の誤解・偏見による長い差別の歴史と患者の
今なお続く苦難の生涯に胸を痛めずにはいられなかった。
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