■実施日:2016-04-21(木) ■参加者:12名
◆歴史街道歩きの楽しみ:
歴史街道歩きの醍醐味はゴールでの達成感です。今年度3回の歩きでは、ゴールの鎌倉は来年になる。
近年、中高年に絶大な人気のある歴史街道歩きの要因は、歴史講師による街道筋の歴史的建造物の案内です。もう一つの楽し
みは沿道の風物。晩春の草木を楽しみました。目にした八重桜・藤・つつじ・シャクナゲ・ドウダン・チューリップ等です。
特に目を引いたのは大輪の花を咲かせるボタンでした。
◆東京都町田市から神奈川県大和市へ:
前回のゴール地点小田急町田駅際の踏切からスタート(9:57)。商店街を歩き町田天満宮へ。町田天満宮は、天正10年
(1582)町田村から原町田が独立分村して誕生した頃の創始と伝えられている。
町田天満宮から1時間ほど歩いたところで、東京都と神奈川県の境界を流れる境川ヘリに三重塔を望見した。立ち寄ってみよ
うということで境川にかかる鶴間橋を渡って泉龍寺という寺へ。門前に石をくりぬいた天蓋の中にお地蔵さんが安置されてい
る。鎌倉街道歩きでは初めての試みといえる、参加者全員が線香をあげてお参りした。
町田天満宮 泉龍寺三重塔 |
再び、旧街道に戻り1㌔ほど歩いたところで境川を鶴間橋で渡り神奈川県大和市に入る。橋のたもとの定方寺に立ち寄る。
この寺は、曹洞宗境国山定方寺といい、慶長15年(1610)に竹峰了瀨(りょうらん)和尚により開創された。
大和バイバスと交差するところで昼食とする。予定したハンバーグ・ステーキの店「けん」は、ほんの5日前に閉店、野菜サ
ラダ各種食べ放題の店ということで期待しただけに少々がっかり。急きょ向かいのラーメン店「壱八家」で昼食を摂った。
バラエティー豊かな食事を楽しんだ後の歩きで、早速東急田園都市線のガードをくぐる。八王子街道添いの観音寺に立ち寄
る。この寺には、大和市の重要文化財の一つ。天文13年(1544)に造られた古い薬師如来像が安置されている。山門を入ると
右手に金亀稲荷と弁天堂がある。
観音寺を出てすぐの所に阿不利神社下社分霊社がある。大山街道を江戸から歩いてきた旅人は、ここで草履をはきかえ、身と
財布を清め金運にあやかるように祈願したという。
分霊社を出てすぐの所に下鶴間の「ふるさと館」がある。ここは鎌倉街道上道(かみつみち)と大山街道が交差する場所で
、筆者が大山街道歩きでつい2年前の3月に立ち寄ったところである。「ふるさと館」は矢倉沢往還(大山街道)の沿道に建
っていた商家の旧小倉家を復元したもので、安政3年(1856)に建築されているため、大和市の重要文化財となっている。この
場所は下鶴間の宿場の高札場でもあった。休憩を兼ねて「ふるさと館」の学芸員から下鶴間宿に関わる説明を聞いた。
◆大和市から横浜市瀬谷区へ:
境川を目黒橋で渡り大和市から横浜市瀬谷区に入る。東名高速道路の高架をくぐり、妙光寺に立ち寄る。蓮昌山妙光寺とい
う日蓮宗の寺で、この寺の縁起によれば、大同8年(808)に天台宗の寺として建立されたが、弘安5年(1282)、日蓮上人が常
陸国に行く途中に宿泊し、時の住職が日蓮の教化を受けて日蓮宗に改修している。妙光寺の梵鐘は鎌倉時代に造られ神奈川県
制定の重要文化財の一つになっている。
下鶴間「ふるさと館」 妙光寺の梵鐘 |
瀬谷柏尾道路を歩く途中の瀬谷銀行跡のあたりで懸念されていた雨粒が落ちてきた。瀬谷銀行は、明治40年(1907)に創業
され、30年にわたり地域金融事業の中心となり、実業界、政界に大きな影響を与えるとともに地域の発展に寄与しました。
学校帰りの小学生と行き交うようになる。ゴール眞近の大門小学校の生徒である。左手の参道と思しき道路の奥に山門が見え
る。濡れそうな雨になってきたが、行くことにした。この寺は正式に曹洞宗瀬谷山徳善寺といい、今から454年前の弘治元年
(1555)の創建で、開山は玄室泰存。訪ねて良かった。境内で横浜市の「名木古木」に指定されているタラヨウの大木にお目に
かかる。葉の裏に傷をつけると黒く変色するので字を書くことが出来る。インドでは経文を書くのに使われたという。早速試
してみる。
寺を辞して街道に戻る。前方に相模鉄道本線の踏切が見える。今回はここまでの歩き(14:53)。
線路沿いの道を歩き瀬谷駅乗車、帰宅する。
徳善寺山門 徳善寺本堂 |
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