ところざわ倶楽部      想い出の赴任地        エッセイ

香  港

2016 8 -18  記  杉浦正紀


 

香港へ海外駐在で赴任したのは、今から26年前の1990年、小生50歳の時であるので、どこまで書けるか不安があります

が、思い出すままに書いて
みたいと思います。



何しろ当時の香港はイギリス統治下で、中国への返還の7年前で、広さは東京23区より狭い土地(東京都の約半分)に、

573万人の人々が生活していました。

赴任前までは、当方も香港に関する予備知識はほとんどなかったのが現状でした。1990年10月赴任当日、成田から香港ま

で約4時間、啓徳空港へ降り立った
時はまず、異様な匂い(中華料理といろんな匂い混じった)に圧倒される。

初めての海外赴任で見るもの、聞くもの、味わうもの、すべて初体験であり赴任当日からテンションが上がりっ放しだったの

を記憶している。



自分が赴任した会社は腕時計の製造・販売をしている会社で、香港に本社、深圳に工場があり7~800人が働いている。時計

のムーブメントは「シャブロン」
というバラ部品セットを日本から送り込み、深圳の工場で組み立てて、外装品(文字盤、ケー

ス、バンド等)については、中国製を採用し、現地で側付け作業(外装品の取り付け作業)を行い、完成品にして世界各地へ輸

出していた。


   

深圳の工場 組立作業                側付け作業   



深圳の工場には、中国の地方(山東省、河北省、吉林省等)から出てきた中卒の女性が中心で、寮生活を送っており、旧正月に

なるとバスで故郷へ半日、一日がかりで帰っていく。給与の大半は親元へ送金し、仕事には熱心で土、日の残業もいとわないで

頑張っていた。


昼休み時間には、小さい金属製の食器で、外で昼食を食べたり、外の水道で髪を洗ったりしている。

トイレは共用トイレで(扉の下が開いており)中に人が入っているのがわかる。寮は二段ベッドの蚕棚式で、大勢の寮生が生活

していました。



我々日本人スタッフは、当時約10名おり、そのうちの大半が工場関係者で、彼らは現地スタッフと打ち解けるのも早く、又広

東語を習得するのも早かったが、当方は、広東語は全くゼロ状態。ただ現地スタッフは学校で英語教育を受けていたので、ほ

とんどのローカルの人は英語が通じたので、こちらの拙い英語でも何とか意思疎通を図ることが出来た。

そんな中、最初に覚えた広東語が「早晨ゾウーサン」(お早う)、「你好ネイホウ」(こんにちは)、「厠所係邊度チーソーハ

イビントー」(トイレはどこですか)。街へ出ると、ほとんど英語も通じない(ホテル、デパートは通じるが)。


会社にいるときは良いが、街へ出るとトイレを探すのに一苦労する。(公衆トイレもあるが、大概はホテルへ駆け込むことにな

る)。会社のトイレもいちいち総務で鍵を借りてから入る状態で、急いでいる時は大変である。トイレの中には大きな水瓶があ

りそこで柄杓を使って手を洗う状態で何とも原始的である。


会社の中には小さい食堂があり、朝、昼はそこで食事をとることが出来る。小さな丸テーブルを囲んで食事をするのだが、現地

の人達(ローカル)は食事中、食べかすや食べかけの骨をペッペッと平気でテーブルの上へ吐き捨てる。この光景に始めはびっ

くり、でも、食事が終わってごみの出たテーブルクロスを集めて、そのまま畳んで捨てていたのには納得、合理的である。


たまに外で昼食をする時は10~15人が近くの「大牌擋」(ダイパイトン)という屋台の店で一緒に食事をとる(安くて美味

しい)。大概、我々日本人が皆の分を払わされるが、10人いても日本円でせいぜい3000円もしないから安いものである。


我々日本人スタッフは、当時10人ぐらい、皆マンション暮らしで掃除、洗濯は現地の阿嗎(アマ)さんが、2人いました(

2人とも日本語、英語が通じず苦労した)。


我々スタッフが日中勤務している間に、作業をしてくれる。又、スタッフが5人以上揃う時は、夕食も作ってくれる(マンショ

ンの1室を食堂替わりに使用)。皆で、缶ビールで乾杯してワイワイやりながら夕食を食べる。香港では水道の水が飲めないの

で、水のペットボトルより安い缶ビールを水代わりに飲んでいた。


我々日本人スタッフの休日の過ごし方は、ゴルフか麻雀で、ゴルフについてはメンバーが揃うと(8~10人)バスで深圳から

香港まで迎えに来て、帰りも送り届けてくれて、料金は大体当時の日本円で5000円(昼食代込み)ぐらいでプレーを楽しむ

ことが出来た。ゴルフコースは香港と深圳に数か所あり
割と平坦なコースで、距離もさほどなく日本人向きのコースが多かっ

た。キャディーも日本語を話せるので、日本でプレーしているのとあまり変わらない感覚でプレー出来るのが良かった。


麻雀については、日本の牌の倍以上あるかと思われるデカ牌で、日曜日ともなると隣近所からも牌をかき混ぜる音がよく聞こえ

てきたものである。ルールも日本のルールと若干違い慣れるまでに時間がかかった。


   

浅水湾(家族で)             スターフェリー船着場



   

美孚新邨(我々が住んでいたマンション     マンションから望む香港島のビル群 




―香港寸話―

<競馬>

香港にはハッピーバレーと沙田に競馬場があり、日本以上に競馬が盛んである。土、日曜日になると、多くの競馬ファンが競馬

場や場外馬券売り場に集まり、一喜一憂している姿は、日本と同じであり香港の人達は根っからの賭け事大好き人間である。

香港のレースには日本から参戦する馬も増え、又香港の馬が日本へ来るケースも増え、お互いの交流も増えている。


<結婚式>

香港の結婚式には何度か出席したことがあるが、日本の結婚式と違って司会者がいるわけでもなく、式次第があるわけでもなく

、いつの間にか始まり、いつの間にか終わっているという感じである。お客さんは、三々五々会場に集まり、まずは麻雀ゲーム

の始まりである。麻雀をしている間に食事、飲み物が運ばれてきてゲームを楽しみながら、飲食をするという感じである。花嫁

、花婿はいつの間にか入場してきて、お客さんとワイワイガヤガヤと交流するといったパターン。そして知らないうちに式が終

わってお客さんが帰っていくという感じである。


<お正月>

香港のお正月は、旧暦で例年2月初旬が新年に当たります。この日はほとんどの商店、会社、学校が休みに入る。各家庭では

「迎春花」といって梅や桃の花を飾る習慣があり月餅を家族で食べる。

我々日本人スタッフはお年玉(一人当たり2050香港ドル)を赤い小袋に入れ現地ローカルスタッフに手渡すことになって

いる(これが結構大変)。


大晦日には、あちこちで夜店が立って大賑わいとなる。会社では忘年会が開かれ大抽選会(ラッキードロー)が行われ、カラ

ーテレビを始め豪華景品が当たることになっている(小生もデジタルカメラをゲット)



<交通機関>

香港の交通機関は、トラムにスターフェリー2階建てバスさらに地下鉄、タクシー、ミニバスと発達しており、非常に便利であ

る。特に地下鉄は安くどこへ行くにも便利であるが、車内は現地人が大声で話す言葉がまるで車内で喧嘩でも
しているような感

覚に襲われる。タクシーも安く便利で良く利用した。