カンピンタンのこと:
「カンピンタン」という言葉をご存知だろうか? 四日市市などの三重県の北勢地区では普通に使われている言葉な
のだが、私がこの言葉を知ったのは、1990年から四日市に単身赴任した直後であった。研究所の実験室でカラカラに
なったある膜状の物質を「あら、カンピンタンになっちゃった」という女子社員のひとことからだった。
真夏の太陽がギラギラと照りつける路上で、無惨にも車に轢かれてペッチャンコになってしまったガマガエルのカラ
カラに干涸らびたミイラのような姿・状態を四日市では「カンピンタン」という。すり傷がかさぶたになった状態や食
べ物が干涸らびてパリパリになったときもカンピンタンという。私が四日市に単身赴任した際に耳にした最も印象的な
言葉が「カンピンタン」だったのだ。私の独断で漢字にすると「乾平反」とあててみたいと思う。この語源は、色鮮や
かな絹布を、鈴鹿山系の急峻な河川の清水で洗い、板に貼り付けて天日乾燥する洗い貼りの世界のような由緒のある言
葉ではないかと思っている。
個人的な興味があったので、「カンピンタンは本当に四日市弁?」「カンピンタンの語源は?」「カンピンタンに相
当する言葉は他にある?」等々といった疑問を解くべく調べてみた。しかし、『広辞苑』や『日本語方言辞書』(藤原
与一編、東京堂出版)などの日本語の辞典・辞書類にカンピンタンということばは載っていなかった。
私の独断的見解:
一般的に、四日市弁のルーツとして考えられる言葉が関西(京都・大阪など)にあるものと、名古屋・岐阜などの中
京地区にあるものが大半で、その他の地区から入ってきたものが少ないことがわかる。ここには日常的に使われている
四日市の関西弁はもちろん入れていないので、全体が見えにくいかもしれないが、四日市のことばの85%は関西由来、
10%が名古屋由来であり、残り5%が四日市独特の、あるいは四日市で育てられたものではないかと思っている。お伊
勢参りで全国から人々が出入りしていたにもかかわらず、ほとんどのことばが関西由来のものであるのは、やはり北東
側に木曽川、長良川、揖斐川という3本の大河で隔てられた三重県の地理的な位置関係が影響しているのだろう。西に
急峻な鈴鹿連峰を配し、ほとんどを海に囲まれたこの地への昔の文化の流入ルートは、関西から現在の国道25号や
163号などとなっている奈良・京都ルートが一般的だったのかもしれない。江戸時代の東海道は、宮宿から桑名までは
海を渡るルートだったため、尾張名古屋からの影響があまりなかったのであろう。近代になり八丁味噌に代表される名
古屋の食文化とともに名古屋弁が少し入ってきたので、それがうまく調和して今の四日市弁が完成したのではないかと
思われる。
私の偏見かも知れないが、全体的に四日市弁は荒っぽい言葉として聞こえるのだが、これは前述した関西ルートから
の河内・泉州方面の言葉と名古屋弁が融合し、それに富田などの港町の荒っぽい言葉の影響を受けたためではないかと
推測される。但し、女性の四日市弁は非常にやわらかなことばで、ほんのりとした気持ちにさせてくれる素晴らしい言
葉だと思っている。
私の四日市単身赴任時代に見聞きした四日市弁を私の拙いホームページにまとめた「四日市弁小辞典」があるので、
興味のある方はご一読をお勧めしたい。私の独断と偏見にもとづいて列記したものなので、おかしなものが多くあるの
ではないかと思うが、勘弁してほしい。尚、この小辞典には現在四日市で日常的に使われているしんどい、あほなどに
代表される関西弁とタワケなどの名古屋弁は含めていない。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ytama/yokkaichi.html
穏やかな県民性に惚れ込む
私が三重県四日市市に単身赴任したのは、1990年からの1年間と1994年からの2年間であったが、それぞれ新し
い部署を立ち上げるための本社勤務であった。知らない街での生活には不安があったが、仲間に恵まれて結構楽しむこ
とができたと思っている。四日市は例の公害で有名になった工業地帯だが、当時の四日市は公害対策が功を奏して、大
気汚染はなく、東は伊勢湾、西に鈴鹿連峰、南に伊勢志摩と自然に恵まれて、のんびりと過ごしやすい街であった。三
重県は気候温暖で、新鮮な魚介類や農作物が豊富な地域であり、伊勢神宮をバックにした天領であったため、過去にあ
まり過酷な時代を経験していない穏やかで温厚な県民性を有している。名古屋のような排他的な面は見られないが、逆
に外に出て強く自己主張すること人も少ない。そのような地で、東京育ちのよそ者の私が受け入れてもらえるか不安で
あったが、その心配は杞憂であった。但し、自分から入っていく努力を私はしてきたつもりではある。
四日市のシンボル?「大阪万博オーストラリア館」 名古屋名物「味噌煮込みうどん」 |
食文化は名古屋寄り?
四日市の味は全般的に関西風だが、その中で目立つのは味噌汁、豚汁、おでんなどは全て八丁味噌の味である。見た
目は真っ黒で初めはびっくりするが、独特の風味と甘みがあって、病みつきになる味であった。しかし、当初は非常に
違和感があった。名古屋の味噌煮込みうどんや味噌かつになれると、関東にはない独特の味に惚れ込んでしまった。う
なぎの蒲焼は、関東風の蒸したうなぎを焼くのではなく、私の好きな関西風の蒸し工程のない焼き方で大変美味しい。
自然がいっぱいの四日市
四日市は石油コンビナートに代表される工業都市と思われているが、それは海側の地域だけであって、鈴鹿連峰から
麓へ続く地域は素晴らしい自然に恵まれた世界であった。この地に惚れ込んだ私は、会社の若い仲間を誘って自然のキ
ャンプを楽しんだ。水道もトイレもない河原のキャンプ地での凝りに凝った料理を楽しむ世界は絶品であった。冬のス
キーシーズンには、車だと1時間程度で行ける伊吹山スキー場があり、夏は伊勢志摩の海があるという恵まれた環境に
生まれ育つと、この地を離れたくない四日市人の気持ちはわかるような気がする。
四日市市郊外鈴鹿山麓の河原での極寒キャンプ |
ついでの話
四日市は現在のイオングループの発祥の地であったのはご存知だろうか?
1970年に四日市の岡田屋、姫路のフタギ、大阪吹田のシロのスーパー3社が合併してできたのがジャスコ(現イオン
グループ)である。現社長の岡田卓也氏、民主党の岡田克也氏は旧岡田家一族の末裔である。但し、四日市市中心部に
あった旧ジャスコの本店はなくなり、駅前はシャッター街と化してしまっている。郊外に大駐車場付きの数店舗(マッ
クスバリュー)に変貌してしまったのは、現在の地方経済の難しさを象徴しているようである。四日市の人によると、
どこに行ってもイオングループのマックスバリューしかないので、商品の代わり映えがしないと嘆いている。これは、
四日市だけでなく、多くの地方都市の抱えている非常に難しい問題ではないかと思う。石油化学コンビナートは縮小し
ていく傾向にあり、かつて栄えた日本有数の工業都市の将来が心配になってくる。私が惚れ込んだこの地の自然がいつ
までも残っていてくれることを願う限りである。
以上、拙劣なページにお付き合いいただきましてありがとうございます。
次回は、中国天津編をまとめます。
|