民話の会 民話紹介コーナー
           
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4.河童の詫び証文

        
  お~い、おめぇら、こっちに来ねぇ~か。 これから「河童の詫び証文」ちゅう面白れぇ話をしてやんべぇ。

 

       
  2  そりゃー、えれー昔のことだ。

久米の()明院(みょういん)のなぁ、お寺の(めえ)がすげぇ崖っぷちになっていてな、
ここんとこを「曼荼羅(まんだら)(ぶち)」と
言っていた。

この川の流れが急にひん曲がっていてなぁ、とっても深けぇくぼったみになった所が
あったんだなぁ。

この淵が、深けぇの深くねぇのって、一丈も二丈も深くてなぁー。

あんだか、昼間っからうすっ気味のわりい所なんだなぁ。

       
  3  そんな所に、久米の曼荼羅(まんだら)と言う一匹の河童が巣っこをこさえて住み着いて
いやがる。

この河童の野郎は、するどくむき出ている歯、伸び放題の手足の爪や、
そんな醜い姿をしているうえ
になぁ、とんでもねぇわるさこく悪でなぁ、
夏になると、水遊びに来る人間を襲って、でんべそを抜き
とってしまうんだぁ。 

でんべそって知ってんか? 「へそ」のことだ。
でえてぇ、でんべそを引っこ抜かれたもんは、大方うっ()んじまうべぇ。

曼荼羅淵の河童は、なぜ人間のでんべそを欲しがるかって?
 訳があったんだ。

       
  4  あんちゅったって、この曼荼羅淵の河童には、「笹井の竹坊」と「井草の袈裟坊」と
こく、()なに当たる
親分河童がいやがって、めぇ年中元になるとなぁ、
第一の親分「井草の袈裟坊」、第二の親分「笹井の竹坊」
の親分たちに、
引っこ抜いたでんべそを持って行ったんだとよぉ。


そんなあんべぇでな、村の者はおっかなくなって、曼荼羅淵には誰ひとり
来じかなくなったそうだ。

 

       
  ところがな、ある夏のめっぽう(あち)い日のことだ。

久米の馬方がなぁ、しこたまへたばった「うんま」を引き連れて曼荼羅淵のそばを
通った。


「うんま」があんまり可哀そうなんでなぁ、「元気づけてやんべぇ」と思ってなぁ、

(ひや)っけぇ水をしこたま飲ませてやった。

馬方が一服しておったらなぁ、うんまが突然、きてぇな声で鳴きわめいた。

       
  6  馬方は、うったまげてふっとんで行ってみると、そうだなぁ、
おめえらとおんなじくれぇの背丈の河童が「うんま」の腹に、ぺったりと
張り付いて
いやがる。

そして、せっせとでんべそをむしゃぐっていやがる。

馬方はふっとんで行って、「この野郎―、あにこいてんだぁー」と大声でどなり
ながらなぁ、
河童の腕っこ
ぶったたいたが、河童の野郎は、びくともこかねぇ。

       
  それどころかなぁ、河童は目ん玉ぁひんむいて、馬方をにらみつけていやがる。
反対に馬方をおどかすふりをこきやがる。


その面のなぁ、うざってぇことうざったくねぇこと。

あんちゅったって、「ぎゅうためん」みていな顔をしていたんだなぁ。

馬方は河童の面ぁーさ見て、すっかりおっかなくなってしまってなぁ。


あんとかしなくっちゃ仕方あんめぇと思ってなぁ。

近くの持明院のお坊様に助けぇ借りようと思ってなぁ、ふっとんで行ったんだと。
       
  8  「お坊様 助けてくんろう」
「お坊様 助けてくんろう」

「河童が出たぁ~」

「助けてくんろう~」


「たのまぁ~ たのまぁ~」となぁ、もう最後は切ねぇ声をこきながら、
お坊様にお願ぇしたん
だとさぁ。
       
  お坊様はその声を聞いて、すっとんできた。

河童の方を向いてなぁ「あにこいてんだぁ この野郎」と言って、
ありったけの大声でお経を
こき始めた。

「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」「なむあみだぶ」

そうすんとなぁ~。きていなもんだでぇ~。


河童はしこたま、ふれぇあがった。

 

       
  10  河童は「とってもかなぁねぇ~や」とこいて、うんまからおっぱなれて、
しびれて動かなくなってしまった。

そんでなぁ、(おか)に上がった河童は気ぃうしなってしまったんだとよぉ。

 

       
  11  そこでな、お坊様と馬方がもっていた太てぇ縄でふんじばって、とっ捕まえてしまった。

「お坊様 この河童 どうすんべぇ」と馬方がお坊様に話していると、
ちっとんべぇ気を失った河童はなぁ、目ささましてな

「お坊様 馬方 あんとか勘弁してくんろう。
もう二度とこんな悪さしねぇから、
命だけは勘弁してくんろぅ~」

「お坊様 馬方 あんとか勘弁してくんねぇかぁ たのまぁ~ たのまぁ~」と、
最後は泣いてあやまったとさぁ。

 


       
     12 お坊様は、いっぺぇ御託ならべて河童に説教したんだと

「そんじゃぁ、あんとか命だけは勘弁してやんべぇ」と言って命だけは勘弁してやった。

そんでもってな、河童を持明院へ連れて行って「詫び証文」を書かせたとな。

ハンコがないから、手ぇに墨付けて手形をぺたんと押させたそうな。

そして、河童は「詫び証文」をお坊様に差し出し、命だけは勘弁してもらったんだ。

 
       
     13 曼荼羅河童はその後なぁ、お坊様の世話で巡礼になって、東海道を下って長ぇ旅に
出たんだとよぉ。


この河童の書いた「詫び証文」どうしたかって、う~ん、そりゃあな、長い間
持明院にとっといたが

明治十九年の大火事でつんむしちゃってなくなってしまったんだとよぉ。


でも、こんな事があったんだぁ~

何年かわかんねぇけんど持明院の近くの人が、四国の金毘羅様にお参りに
行った時になぁ、
当の河童にばったりと出会ったんだとよぉ。

そんでもってなぁ、河童は「曼荼羅淵に帰りてぇ 帰りてぇ」と言っていたんだとよぉ。
 
       
    14  悪さする河童が、いつ曼荼羅淵に帰って来るかわかんねぇからなぁ。

おめぇら、曼荼羅淵へ行くんじゃねいぞ、まぁたでんべそ引っこ抜かれるかも
しんねぇからなぁ。


あそこだけはぜってぇ行っちゃいけねぇ。
気を付けんだぞぅー。

この話は これでおしめぇだ。