ところざわ倶楽部          投稿作品       エッセイ&オピニオン

仏教3大世界遺産の一つ                          

     アンコールワットを訪ねて (2)
                                                      
                                                2016 6 -12  
記 アジア研究会 島川謙二


カンボジアは日本の半分の面積に1500万人が住んでいる国です。しかし、一人当たり国民所得は1000ドルほど

で、まだまだ貧しい国です。


親米派との10年におよぶ内乱終結後、実権を握ったポルポト派の共産政権は、197579年に優秀な知識階級や技

術者などを中心に、当時の人口800万人のうち200300万人を虐殺し、仏教遺跡などを破壊したそうです。現在の

フンセン首相も軍人で経済政策はあまり期待できないとガイドが不満げに言っていました。小さいこどもが観光客にお

土産を売りに来るのはインドやベトナムなどと同じですが、「イチドルイチドル」と日本語でねだる子もいます。

シェムリアップではドル紙幣が日常的に通用し、買い物してもお釣りは1ドル未満だけが現地通貨です。

ミャンマーなどのように鉱物資源を有して将来性があるとはいえない状況です。またオールドマーケットのカンボジア

人を見ても、ベトナム人のようには勤勉ではない印象でした。


仏教の3大世界遺産は、インドネシア・ジャワ島のボロブドゥール遺跡、ミャンマーのバガン遺跡、カンボジアのア

ンコール遺跡です。アンコールワット(王家の都の意味)はアンコール王朝(802年~1431年)の繁栄の証です。

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世紀にクメール人のスーリヴァルマン2世によって、30年かけてヒンズー教の寺院として建造され、13世紀後半

に仏教が伝わると仏教に衣替えしました。旺盛時には50100万人が住んでいたといいます。 アンコールワットは

1860年フランス人の博物学者が密林の中に発見した世界最大級の石造寺院です。


1992年に世界遺産に登録され、カンボジア国旗の中央に描かれています。


シェムリアップは17世紀にクメール人がタイ・アユタヤ朝の軍隊を撃破した歴史が地名の由来で、首都プノンペンに次ぐカン

ボジア第2の都市で人口100万人。



アンコールワットなどの遺跡群の観光には、入場期間が印字された各自の写真入りの入場者カードを40ドルで作り

、これを係官に遺跡に入るたびに見せなければ入れません。厳重です。

観光はアンコール王朝の都市づくりの始まりといわれる「ロリュオス遺跡群」からスタートしました。


    

ロリュオス遺跡            遺跡近くに日本の援助で建てられた           ロリュオス遺跡バコン 
ドイツの援助で修復中         小学校教室、電気、水道なし                       



アンコールワットは東西1.4㎞ 南北1.3㎞にわたって濠が囲んで、3つの回廊を従えるように中央に65メートルの

大尖塔がそびえます。壁面にはインドの「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」の叙事詩や、「天国と地獄」「乳海攪

拌」などの物語のレリーフ(浮彫り)がありました。見事でした。




65メートルの大尖塔の遠景




3回廊にのぼる階段は70度の角度です。私は高所恐怖症ですが意を決してのぼりました。3年前に手すりが付けら

れたそうです。回廊には一度に100人しか入れません。バイロン寺院には微笑みの石像も。アンコールに他者を排斥

せず、許容・融合する文明が存在したのは、平和がつづいたことによるとか。


    

                      第3回廊へのぼる階段             アンコールワット中央西塔門




バンテアイ・スレイはクメール芸術の至宝と絶賛され、紅色砂岩の建築群でアンコール王朝でも平和な時期に作られ、

「東洋のモナリザ」といわれるデヴァダー像があります。フランスのアンドレ・マルローが、その美しさに魅入られ盗

もうとして逮捕されました。



    

   バンテアイ・スレイのレリーフ      アンドレ・マルローが盗もうとした東洋のモナリザ      ブリオ・カン



無残な首なし石像を見ると、改めて「平和」を思いました。(つづく)