2016 6 -21 記 松岡 幸雄
あの東日本大震災から5年になる3月、毎年のようにマスコミの報道は減ったとは
いえ、まだまだ大きく取り上げられていました。
★「忘れない」~ 語り継ぐこと
ある新聞の全国世論調査によると、東日本大震災の被災地に対する国民の関心が薄
れたと感じることが「ときどき感じる」と「よく感じる」を合わせると約8割が「風
化」を意識している、と報じていました。
時の流れは、否応なく人の記憶を薄れさせるものです。それゆえに多くの自治体で
「震災の経験から学んだ教訓」を語り続けるために「震災遺構」として建物などを残
そうという動きがありました。私が訪ねたことがある宮城県石巻市の大川小学校は、
津波によって児童・教職員84人もの尊い命が犠牲になった所です。「見るのがつら
い」「維持管理費がかかる」などという保存の賛否を乗り越えて「防災教育の場とし
たい」と結論が出ました。また「復興祈念公園」等の建設計画もあります。
私は趣味のマジックで、「笑い」を届けながら「あの大震災を忘れないで」と、所
沢市内外の高齢者施設などで訴えています。この「大震災リポート」も被災地支援の
一つと思って頑張っております。
避難者の『東雲の会』のみなさん 江東区東雲地区のタワーマンション群 |
★東京都内に避難者が、なんと・・・!
全国各地に多くの避難者がおられますが、東京・江東区にも福島県から当初は約
1,300人でしたが、今でもまだ約900人が、大都会の中で慣れない生活をされ
ています。
この3月と6月の2回、地元の社会福祉協議会の仲介を得て訪ねて来ました。以
下、2回に分けて報告いたします。
★頭の中は、不安でいっぱい!
40階ほどの超高層マンションに、大震災と東京電力第1原発の暴発による自主避
難者と強制避難者が約半々、生活をしています。
避難者の自主的な団体「東雲の会」が作られて、ここでの人間関係を円滑にするた
め週2回、1階の集会所で交流会を開いています。テーブルには福島県内のいくつか
の新聞が置いてあり、自由に読めて県内の動向が詳しくわかるようです。
会の役員さんから初めに聞いた話は、あの3・11の翌日からのことでした。「大
熊町と双葉町の人は、東京電力と協定が結ばれていたので、大型バスで、最初の避難
先だったさいたまスーパーアリーナに送り届けてもらったが、浪江や富岡の者は現地
に置いてけぼり。自家用車で追いかけてきて着いたけれど、入れてもらえなかった。
1週間後にようやく入れてもらえたが」と。大変な思いをしたことを昨日のことのよ
うに話してくれました。
その3月末以降は「ここにいる皆さんは4~5カ所を転々としてきている」「鍵も
かけずに出てきたので、どの家も盗みにやられている」。
「ツナミの被災者は、翌日から帰る準備ができたでしょうが、原発に近くに住んで
いた者とは、大違いです」「5年前と同じで何も変わっていない」「ここの住民の8
0%は帰れない。みんなこの後の移住地を懸命に探している、年々ここの住民が減っ
ていく、焦ってしまう・・・」「いわき市は土地が高騰していて、我が家の再建はも
うムリだ・・・」
☆
最後に「目に見えない放射能の恐怖。いかに怖いかを痛感している」と、福島県民
のこの言葉は、私たちも他人事でなく、しっかり心に受け止めなくては、と思いなが
ら帰路につきました。(№27につづく)
|