ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン

東日本大震災リポート(改題)通巻№26

    
 復興への道は、今もまだまだ・・・
                                                      
                                   2016 6 -21     
記 松岡 幸雄



 あの東日本大震災から5年になる3月、毎年のようにマスコミの報道は減ったとは
いえ、まだまだ大きく取り上げられていました。

   
「忘れない」~ 語り継ぐこと
 ある新聞の全国世論調査によると、東日本大震災の被災地に対する国民の関心が薄
れたと感じることが「ときどき感じる」と「よく感じる」を合わせると約8割が「風
化」を意識している、と報じていました。
 時の流れは、否応なく人の記憶を薄れさせるものです。それゆえに多くの自治体で
「震災の経験から学んだ教訓」を語り続けるために「震災遺構」として建物などを残
そうという動きがありました。私が訪ねたことがある宮城県石巻市の大川小学校は、
津波によって児童・教職員84人もの尊い命が犠牲になった所です。「見るのがつら
い」「維持管理費がかかる」などという保存の賛否を乗り越えて「防災教育の場とし
たい」と結論が出ました。また「復興祈念公園」等の建設計画もあります。
 私は趣味のマジックで、「笑い」を届けながら「あの大震災を忘れないで」と、所
沢市内外の高齢者施設などで訴えています。この「大震災リポート」も被災地支援の
一つと思って頑張っております。


  

      避難者の『東雲の会』のみなさん      江東区東雲地区のタワーマンション群 


    

   東京都内に避難者が、なんと・・・!

全国各地に多くの避難者がおられますが、東京・江東区にも福島県から当初は約
1,300人でしたが、今でもまだ約900人が、大都会の中で慣れない生活をされ
ています。
 この3月と6月の2回、地元の社会福祉協議会の仲介を得て訪ねて来ました。以
下、2回に分けて報告いたします。
   
頭の中は、不安でいっぱい!
 40階ほどの超高層マンションに、大震災と東京電力第1原発の暴発による自主避
難者と強制避難者が約半々、生活をしています。
 避難者の自主的な団体「東雲の会」が作られて、ここでの人間関係を円滑にするた
め週2回、1階の集会所で交流会を開いています。テーブルには福島県内のいくつか
の新聞が置いてあり、自由に読めて県内の動向が詳しくわかるようです。
 会の役員さんから初めに聞いた話は、あの3・11の翌日からのことでした。「大
熊町と双葉町の人は、東京電力と協定が結ばれていたので、大型バスで、最初の避難
先だったさいたまスーパーアリーナに送り届けてもらったが、浪江や富岡の者は現地
に置いてけぼり。自家用車で追いかけてきて着いたけれど、入れてもらえなかった。
1
週間後にようやく入れてもらえたが」と。大変な思いをしたことを昨日のことのよ
うに話してくれました。
 その3月末以降は「ここにいる皆さんは4~5カ所を転々としてきている」「鍵も
かけずに出てきたので、どの家も盗みにやられている」。
 「ツナミの被災者は、翌日から帰る準備ができたでしょうが、原発に近くに住んで
いた者とは、大違いです」「5年前と同じで何も変わっていない」「ここの住民の8
0%は帰れない。みんなこの後の移住地を懸命に探している、年々ここの住民が減っ
ていく、焦ってしまう・・・」「いわき市は土地が高騰していて、我が家の再建はも
うムリだ・・・」
          

 最後に「目に見えない放射能の恐怖。いかに怖いかを痛感している」と、福島県民
のこの言葉は、私たちも他人事でなく、しっかり心に受け止めなくては、と思いなが
ら帰路につきました。(27につづく)