ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン


東日本大震災リポート  通巻№28

復興支援ボランティアに参加して

~ツナミで被災した宮城県山元町~

                                                      
                                   2016 07 -10     
記 松岡 幸雄


 6月末、新宿駅西口発の夜行のボランティア・バスツアーに参加してきました。ネッ
トで探して申し込みと入金までをすべて自分でしますが、すっかり慣れました。夜行バ
スの車内は、安全運転・無事故を祈りながらも、エンジン音と椅子のために中々寝付か
れず、睡眠時間は極端に少なくなり大変疲れました。


★語り部から「あの日」を聞く
 この町は、仙台市から直線で約30km南で、仙台平野の最南端にあり、福島県に接
する町です。朝6時、山元町に到着後、語り部の岩佐さんがバスに乗り込み8時までの
2時間、町内の各所を巡りながら詳しくガイドをしてくれました。


 「あの日」の地震から64分後に第1波のツナミが、ここの豊かな大地と幸せな生活
と命を瞬時に奪い去りました。この町でなんと636人もの命が・・・。中でも町職員
・民生委員・消防団員など21人も殉職者を出しました。「当たり前だったことが当た
り前でなくなった、あの大ツナミ」という語り部のことばが強烈に心に残りました。

 バスの中から見渡すと家はなく、所々に土が盛られ、クレーンが見え「農耕復興作業
中」と書かれたピンクの幟旗が目に入ってきます。町南部の磯浜漁港にある磯崎山公園
の頂上で話されたことは、登った全員が助かったこと、壁や床の板・枯れ枝などを「ご
めんね、助けてね」と言いながら燃やし、あの寒い一夜を過ごしたこと・・・。この地
域の言い伝えは、「大きな地震があったら戻るな! 車では2軒まで声かけていい」で
す。



  

      語り部の岩佐さん            収穫を終え枯れたイチゴ苗の片付け  

  

★「心の痛みはどこまでも深い・・・」

 旧中浜小学校は、地震による地盤沈下により以前よりも海が80mも近づいてきてい
ます。とてもモダンな建物で、大ツナミにも耐えられるようにコンクリートの太い柱は
四角でなく丸く設計していたので今でもしっかりしていて、2階建ての天井裏の隙間に
、なんと90人もの命を救ってくれた。その感謝の気持ちを込めて、今も花壇には花が
絶えなく植えられています。「何かあった時は、自分の命は自分で、守ってくださいね
」と。


 今も校門の中に入ることができない子もいるし、3月11日が近づくと誰にも会いた
くない人、あのツナミの空撮映像を見たくない人、体がこわばってしまう人、地震の揺
れがあるたびに「助けて~」と孫の声が聞こえてくる人・・・。


 こうした話を聞く私たち仲間も、涙をこらえきれず、私もこらえるのが精いっぱいで
した。「心の復興には大変な時間が必要だ」と強く思いましたし、時間で解消はできな
いかもしれません。このことを多くの人に知ってもらいたいものです。


★イチゴ農家でヘトヘト・・・
 山元町特産のイチゴは「東北一」とは知りませんでしたが、ここでのボランティア活
動は震災から有名でしたので、1度は体験を、と応募しました。

 
 イチゴを多少は試食できるのかなとの思いは「甘かった」です。既に春の収穫時期は終
わっていて、枯れた苗の片付けでした。午前に2時間半、午後も2時間半の作業(休憩各10分間)で、がっちりしたビニールハウスが何十棟もあり、私にとっては慣れない作業のためクタビレました。私たち仲間25人は、根から抜いた枯れた苗をハウスの外に数十回と運び出し、数kmも歩き汗・汗・汗でした。曇りの天気だったことが大助かりで、快晴の時では熱中症でした。黙々とマイペースで昼休みを迎えた時、レジャーシートに傍の田から雨蛙の子が飛び込んできたことで疲れが和らぎました。イチゴ農家のご夫妻と2人の息子さんにとっては、12月クリスマスに向けた準備の一助(復興支援)となったようで来てよかったと思いました。



 ここで復興支援歌を紹介します、「動画」でぜひ見て聴いてください。

 ①「ふるさとは今もかわらず」(新沼謙治)

 ②「この町で」(山元町の歌を作り隊)