2016 07 -25 記 門奈直樹
ところざわ倶楽部 特別会員
立教大学 名誉教授
世界的な調査機関であるワールド・バリュー・サーベイ(世界価値調査)によると、日本はメデイア
に信頼を寄せる比率が極めて高い国です。一方、国際NGO団体の「国境なき記者団」が世界180か国の
「報道の自由度ランキング」を発表していますが、2017年度では、日本は72位 でした。これは発展
途上国並みのランクです。この4月には国連の人権委員会の調査団が日本にやってきました。日本にお
ける人権状況の調査が目的でした。こ の調査に加わったカルフォルニア大学の国際法の専門家デービッ
ト・ケイ氏は、「日本では報道の独立性が重大な局面に直面している」と発言しました。
最近では、政権に批判的なテレビキャスターが、テレビの画面から消えています。NHKの会長は、
「政府が右を向と言うのに、左を向くわけにはいかない」と平然と言っていました。先の国会で高市総
務大臣は、放送法第4条の番組編集準則と電波法第76条を根拠に「放送が公平でないと判断されたなら
ば、放送電波の停止もあり得る」と発言しました。放送法の第3条「放送は政治的に公平である」とい
うこの文言は法規定ではなくて、倫理規定です。倫理規定で放送電波の停止を行うのは、憲法21条違反
の行為です。明らかに違憲です。
日本のメデイアの歴史のなかで、ニュートラル(中立)という言葉を初めて使ったのは、福沢諭吉で
した。福沢は自由民権運動のさなか、板垣退助の自由党とか、 大隈重信の改進党の何れにもくみしない
新聞を作る、といって『時事新報』という新聞を発刊しました。このとき編集の基本精神として「中立
」を標榜しまし た。目的は読者層の拡大にありました。「中立」という用語は読者層のすそ野を広げる
という、いわば営利を目的としたマスメディアの文脈の中で登場してきた 用語です。ところが、その「
中立」という言葉は、ジャーナリズムの上では実にあいまいで、政治状況が全体的に右に傾けば、中点
も右に移ります。左に傾けば 中点も左に移動するというように、中点は流動的です。
イギリスのジャーナリズム界では、1945年ごろまでに「中立」という用語は無くなりました。代わ
って登場したのが「インデペンデント」(独立・自立)という言葉です。これはテレビの世界でも同じ
です。1987年のBBCの年次報告書は冒頭、次のように書いています。「放送が政府から本当に独立
していなければ真実と公平、公正の最高の水準を保つ放送はできない。またそうした評価を確立するこ
とが出来なければ放送の真の独立はありえない」。今から30年 前のことでした。イギリスの放送メデ
ィア界で「インデペンデント」が使われるときは「政府からの独立」を意味します。それが現在では共
通認識となって、視 聴者の間でも共有されています。日本では、NHKの籾井会長が「政府が右を向け
と言っているのに、左を向くわけにはいかない」と語っています。
籾井会長には公共放送の意味が解っていない。放送における「公平」や「独立」の意味も理解されて
いない。籾井会長の放送観は「国営放送」観で、中国や北朝鮮 の放送観と全く同じです。政府はメディ
ア対策のための戦略用語として「公平」「中立」の用語をフル活用してメディア規制をしているのです。
中曽根内閣時代の浅利慶太さん、小泉内閣時代では首相秘書官の飯島勲さん。彼らはいずれもメディ
ア特性に精通した人物でした。浅利さんは、中曽根首相が目 立つような演出を凝らしました。G7の会
合では、イギリスとかアメリカ、フランスの首脳の間に中曽根首相を立たせて世界の中の中曽根をアピー
ルしました。 飯島さんは、「国民の70%は、政治面の記事にはあまり興味がない。そうした彼らにどう
語り掛けていくか、それが大事だ。小泉は新聞以外の漫画本、スポーツ紙、婦人雑誌の取材に積極的に応
じた。政治に程遠かった国民は、やがて小泉を支えるようになった」と書きました。
実は、この小泉路線は、今の安倍政権に受け継がれています。安倍首相は長嶋茂雄さんとか、松井秀喜
さんへの国民栄誉賞の授賞など、スポーツ選手を利用して、 メディアへの露出度を高めています。週刊
誌への登場、国会を欠席してテレビのワイドショ-への出演、これは政治に程遠かった層へのアプローチ
を狙ったもの です。また、安倍首相は、メディア界の重鎮らとも頻繁に会食しています。一方で政権は
、「一億総活躍社会」とか、「女性の社会進出」とか、「地方創生」と いった耳障りのいいキャッチコ
ピーを政策用語として多用しています。これらのコピーは新聞の見出し用語に使われ、テレビのワイドシ
ョーでもタレントまがい のキャスターによって、気軽に使われています。こうしたメディア受けする用
語の活用は、誰の指南によってなされているのか。浮上してくるのは電通や博報堂 など、大手広告会社
のPRマンです。
「メディアと自民党」(西田亮介著)という本によると、典型的な人物としては、現内閣官房副長官の
世耕弘成氏が挙げられます。世耕さんはもとNTT職員。ボス トン大学のコミュニケーション大学院に
留学して、「企業広報論」で修士号を取ったPR論の専門家です。世耕さんのメディア戦略は、官邸内に
コミュニケー ション戦略チームを作り、そこにメディア対応の専門家を常駐させ、世論調査をしたり、
全国の新聞、テレビ、雑誌をモニタリングをすることにありました。 様々な問題の発生に関して、首相
が番記者の質問にどう対応するか、世論調査のデータを使いながら組み立てる。そういう仕事もしていま
す。こうした広報戦略 に専門家をどんどん起用しています。
メディア効果にプラミイング効果というのがあります。メディアをある事柄に注目させることによって
、人々の政治への関心を変えさせていく、そういう効果で す。例えば甘利大臣の問題、或は安保関連法
の施行と同じくして、自民党の宮崎健介議員の不倫問題が発覚しました。テレビのワイドショーは、連日
この不倫問題を大々的に報じて、人々の目を不倫問題に向けさせました。週刊誌報道によると、宮崎議員
は奥さんの母親に「自分ははめられてしまった」と電話をしたそう です。つまりこういう安保法制の問
題とか、あるいは、甘利問題から、目をそらせるうってつけ材料として使われたと言うのです。その結果
、市民の関心は不倫問題に向かいました。自民党はこれで大変助かりました。
今、 日本のメディア対策の請負人たちは、中国や北朝鮮の軍事的脅威を煽っています。安保関連法制の
問題では、中国と北朝鮮の脅威が使われました。沖縄の基地問 題では、中国の南シナ海や東シナ海、或
は尖閣問題とからませた議論が展開されています。「中国は沖縄も狙っている」と。ともあれ、安倍政権
はPRの基本理論をベースにしたメディア戦略を行っています。
日本の放送界には電波の免許制度がありまして、許認可権は政府が持っています。NHKの予算・決算
は国会の承認事項。したがって政治の介入が可能な制度に なっている。欧米では電波の許認可権は、政
府ではなく第三者機関が持っています。英国のBBCの予算・決算は、国会の承認事項ではない。BBC
の会長は公募制で選出されます。日本のNHKの会長は、内閣が選んだ経営委員によって選出されていま
す。ですから、安倍首相とお友達のような籾井さんが登場してくる のです。にも拘らず日本では制度改
革の議論は起こらない。そこにこの国の民主主義の未熟さがあります。
民主主義を確立していくためには健全なジャーナリズム活動が重要です。日本は言論・報道の自由度は
低いが、一方で中国、韓国と並んで市民のメディアへの信頼 度が非常に高い国です。そのメディアが操
作の対象になる。だから大事になってくるのは市民のメディアリテラシーです。市民の間での「メディア
を読み解く 力」の育成です。イギリスでは、「メディア・ワイズ」という運動があります。市民はメデ
ィアに対して賢くなっていかなければならない、という運動です。も う30年来続いています。
私たちは、他国の事例を参考にしながら、日本に合ったメディア環境を作っていくためにはどうしたら
いいか、そういう議論をしていかなければなりません。単にメディアを愚痴ったり批判するだけではない
。メディアを変えていくための市民運動が大事なのです。
以上
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