2016 11 -01 記 松岡 幸雄
10月22日(土)、まだ明けない早朝の1番電車で新所沢駅を出て、東北新幹線で仙台へ、そ
こから乗り継いで昨年開通したばかりの仙石東北ラインの快速で石巻駅に、意外と速く午前9時20
分に着くことが出来ました。
これまで20回程、被災した東北3県に出かけましたが、なかでも石巻市と女川町には、ボランテ
ィアとして幾度も訪ねて来ましたので知り合いの方が増え親しく関りを持ってきました。
★ 復興に向かって・・・
2011年3月、大震災直後の5月のゴールデンウイークに3泊4日で訪ねた場所が石巻市でした
。ツナミで犠牲になられた方が最も多かった市です。当初は小さな集会所や大きな中学校の体育館な
ど多くの避難所を訪れました。その後、避難者は「避難所から仮設住宅に」と移動されましたので、
私たちもそこの集会所を訪ねるようになりました。生活の環境が変わることで、被災者がボランティ
アに求める内容が少しづつ変わってきました。「ガレキの片付けから心の復興に」です。被災者同士
が知り合いではないので、皆さんと交流し楽しい時間を持てるような「コミュニティーづくり」が主
となりとても遣り甲斐を感じてきました。更にまた震災の5年前後から生活の基盤が「仮設住宅から
災害公営住宅に」変わり、ボランティアの対応も大幅に変わらざるを得ませんでした。「個人やグル
ープの支援から準公的な組織による支援に」と。
★ 新しい街おこしを・・・
石巻は、市をあげてあの有名な「石ノ森章太郎の萬画館」がある町として売り出していますが、私
は「アニメソングとサルサダンス」の旧知の仲間と合流しました。
アニメソングを唄う男性の力強い歌に子ども
たちが興味を示して集まってきます。サルサダ
ンスの速いステップで踊る男女に魅了された後
、私のマジックを演じながらのおしゃべりで笑
いを誘い「人寄せ」に全神経を集中します。
私たちが出演したのは、市内にある6店舗集
まった広い駐車場がある「ショッピング・モー
ル」と、郊外にある入浴施設やレストランや土
産物のショップがある「道の駅」の2か所です
(写真)。 |
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2人の支援者と4人の演者
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お風呂に入りに来た人、食事や買い物に来た人など、あらゆる年代の方々が多く来られます。店長
と一部の従業員までも集まってきました。我々の演技に足を止めさせ、楽しんでもらうためには、音
量や出し物の順、動き方など多くの工夫を織り交ぜています。30~50人の市民がにこやかな顔で
拍手をしていただけることは、最高にうれしいことです。演じた後に話しかけられることもよくあり
ます。
「どこから来たの?」とか「話術がうまいわね」などのお褒めの言葉があったり「名刺をください
、いつか頼みたいので」との声もかかったりで、とても大きな自信になりました。私たちは「石巻を
笑顔でいっぱいに!」をテーマに掲げてこれからも活動を続けていきます。
★ 命の大切さを育む教育を
10月末、仙台地方裁判所で判決がありました。その内容は、2011年3月11日の大津波によ
って石巻市立大川小学校で児童と教職員84人もの犠牲者を出したのは、「学校側の過失である」と
して市と宮城県に損害賠償を命ずる内容でした。私は2年半前に現地を見たとき即、「校庭の目の前
にある裏山に逃げることができた」と確信しましたので、この判決は全く妥当なものであり、5年以
上も争ってきた遺族の皆さんの思いは痛いほど理解できるだけに、とても嬉しく思いました。
しかし市・県の教育委員会・市議会も認め市長と知事は、この判決を不服として高等裁判所へ控訴
しました。この動きは、子どもの命を守るべき学校の使命に逆行しているので大きく報道されました
。驚きと怒りを感じたのは、私だけではないと思います。「謙虚で誠実に責任を認める勇気」を切望
しつつ今後の行方に注目しています。
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