2017 04 -20 記 松岡 幸雄
「心にゆとり」を持つためには、遠くを見渡せること、とても大切なことだといつも感じていま
す。福島県と宮城県をまたぐ蔵王連山には、芽吹きはまだのようでしたが谷筋に残る雪が見られ、
春が近くまで巡ってきていることを感じホッとしました。
★ 「地震・ツナミ・・・いつも怖いの」
宮城県石巻市で「常宿」のように大変お世話になっている松巌寺は、市内にあり海からも旧北上
川からも近く、地震とツナミで被災した寺です。被災後3年程は、宿坊の瓦は壊れて雨がもり風も
入りましたが、その後は仮設のプレハブで寝袋にもぐっています。しかし東北の3月の夜はとても
寒く、何度も目覚めます。今回もまた真夜中に地震でハッとしました。「あ、地震だよ‼」と叫ぶ
と「震度4だ」誰かが教えてくれ、瞬時に「ツナミは起きないのかな?」と思いました。近くに住
んでいる方は「地震の度に、またツナミが来ないか、いつも怖いの」と言っていました。恐怖を抱
きながらの生活の実態を改めて知りました。
ツナミの被災から数年間、大きな船が2隻横たわっていた地域を、今年の3月12日、久しぶり
に歩きました。なんとそこには5階建ての大きな災害公営住宅(写真)があちらとこちらに「津波
避難ビル」として建てられ、住み始めていました。「え~、どうしてここに?」と思いました。よ
く考えてみると、高台地に建てるとしたら、その造成地の選定や完成までの期間が長く費用が膨大
になり、しかも市内から遠く買い物などに不便で入居希望者が少なくなりミスマッチが起きる・・
超高齢化・独居者増・人口流出などの社会的な背景もあり、これが現実でした。
ツナミの跡地に『え? なんで?』 漫画館のそばの堤防は、まだまだのよう
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★ ボランティアの必要性と心得
大規模な災害では、市の職員も被災者ですのできめ細やかな対応には限界があります。そこを埋
めるのが民間のボランティアで、NPO・社会福祉協議会などで強力に支援していく態勢を作り、
被災者が中心になった運営をしていく「文化」が育ってきています。その成功例が熊本地震の現地
にあるようです。
当初は野外にテントを張り寝袋で泊り、数日分の水・食料・着替え・洗面道具などをリックに詰
めていました。ボランティア保険に入り、時間と費用は自己負担で、「頑張り過ぎない」「過度な
同情はしない」「とにかく相手の話を共感的に聞く」などの「心得」を秘めながら臨んできました。
★ 体験を、もっと伝えなければ・・・
当初はガレキの片付けから、被災者同士のコミュニティを作ることがメインでしたが、活動内容
は徐々に変わり、楽しい「春祭り」などのイベントの運営に参加したり、大きなビニルハウスのい
ちご農家のお手伝いをしたり、仮設住宅の集会所などでマジックを披露して「笑い」を届けたりと
多様な復興への体験をさせて貰いました。
これまで6年間も続いたのは、何よりも被災した皆さんが我々を待っていてくれ心ら喜んでもら
えたからで、さらにボランティアの旧知の仲間が沢山いたからです。
また、この大震災の歴史的な事実や悲惨さ等を多くの方々にリポートや講演や事ある毎に伝え続け
ることが「現地を知った者の責務」と強く思ってきたからです。
★ まだまだ課題が山積しています
今年3月11日付の「河北新報」(本社・仙台市)の紙面から見出しを拾いますと、「宮城県議
会・震災論戦 表舞台から後退」、「牧草地 除染不可能」、「内陸移転断念を正式表明」、「復
興道路整備は高評価」、「防潮堤建設に過剰感」、「農地・漁港復旧に不足感」、「福島産 根強
い風評被害」、「再稼働 74%認めず」などです。「データで見る被災3県」(岩手・宮城・福
島)によると防潮堤の完成率は3県とも30%以下(上記の写真参照)、学校の復旧率は3県とも
90%以上、農・漁・住の項目では福島県は極めて遅れているのが目立ちますし、福島県からの関東
への避難者数は2万人で相変わらずです。
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原子力発電所の廃炉に向けた複雑な工程が「これから始まる」状況で、気の遠くなる今後に向け
て、まだまだ関心を持ち続けていきたい。
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