2017 07 -24 記 松岡 幸雄
この6月、茶臼岳を中心とした那須連山は、残雪が多かった3月とは大きく変わり、わずかに谷
筋に白い雪が残るだけで、麓は緑一色の絨毯のような春を迎えていました。福島県の安達太良山、
宮城県の蔵王の山並みを左に見ながら、田植えが終わって緑いっぱいの田園風景を一気に抜けて、
仙台市にある「震災遺構」を訪ねる「観光支援の旅」に行って来ました。
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宮城県仙台市若林区は、あの大震災1年後の2012年6月に初めて訪ねて以来、早や5年が経
ちました。この荒浜小学校のすぐ近くに住んいた被災者の話が今でも鮮烈に覚えています(「被災
地リポート №2」)。どのような復興の道を歩んできたのかを、直接見て聞いて感じたいと期待
の気持ちを抱きながら・・・。
軽飛行機がゆっくりとツナミで流されていくテレビ画面を見た方が多いことでしょう。ここ若林
区は、あの仙台空港から北に10km程しか離れていなく、南北に延々と続く仙台平野のど真ん中
にあります。
閉校した教室で、語り部から説明を聞く 186名の慰霊碑に合掌 |
5年前、田圃が広がる交差点にあった、ガソリンスタンドの屋根を支えていた30cmほどの太
い鉄の柱がグニャリと折れ、ツナミのすさまじさに、ただただ驚き、その脅威を強烈に感じたこと
は今でも脳裏に残っています。(今は更地になり、辺りは建築禁止区域で建物は一切なく跡地の計
画は未定のままです。)また荒浜小学校の校舎の前には、おびただしい数の農機具などが原型をと
どめなく壊れたまま並べられていました。(今は、破壊された体育館も撤去されて、4階建ての校
舎だけが広大な荒涼とした地に寂し気に残っていました。)
今「震災遺構」として「あの日」を語っています
海岸から約700m離れた荒浜小学校に、あの大地震の発生わずか15分後に「黒い波」が押し
寄せ、児童・教職員・地元の住民ら320人が避難し、6mのツナミが校舎2階まで襲ってきまし
た。屋上に続く階段に暗くて寒い中を長い時間並び、自衛隊のヘリコプターで、屋上から一人づつ
吊りあげられて奇跡的に全員無事に救出されました。(校舎内での死者がゼロだったので、「校舎
に感謝」の意味もあり「震災遺構として蘇った」とのことでした。)
「壊れた家がぶつかり合う音、車・ガレキ・知人の家が流されていく。現実とは思えずに、屋上
からただぼう然と眺めているだけでした。」「日頃の訓練の避難場所が、体育館であったら全員死
亡だった。」「地元の186名の多くが車で避難したので、車中で亡くなった。」・・・・・・
(以下・略)
最も大事な教訓として「車で避難しない。少しでも高台に歩いて逃げること!」「津波は必ずま
た来ます!」「多くの経験や教訓を語り続けること」と。
今年の春から「一般公開」しています
ツナミの脅威と教訓を後世に伝えるため、震災遺構として公開しています。
大震災直後の様子を撮った約20分程のVTR・記録資料や写真の展示があります。自由見学が
基本ですが、案内を希望される時は、下記に事前に相談を。
◎開館時間・10~16時。(入館無料)
◎休館日・月曜日及び第2・4木曜日。祝休日の翌日 (土・日・祝を除く)。
◎問合わせ先・震災遺構 仙台市立荒浜小学校 管理事務所
TEL 022-355-8517
◎所在地・〒984-0033 仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
車の場合・仙台東部道路「仙台東IC」から約10分
◆是非、夏か秋に、訪ねる機会を持ってみてはいかがでしょうか?
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