2017 10 -1 葵の会 島川謙二
9月15日から及川道之講師による「枕草子」の講義が20名が出席して始まりました。来年2月まで6回の
予定です。
「枕草子」は皆さんご承知の通り平安朝の随筆の名作です。1000年ごろの作品。
まず講師が手配いただいた所沢図書館分館館長、館員による持参した「枕草子」の関連資料の説明がありまし
た。大型本の絵巻物から文庫本まで10冊ほどで、所沢図書館が保有する「枕草子」関連の資料の一覧も配布さ
れました。
「枕草子」の章段が書かれた年、清少納言や皇室、中関白家の状況、その時の一条天皇・定子・清少納言の
年令などの関係資料一覧も、とてもわかりやすくまとめられていました。
及川道之講師 |
「枕草子」といえば冒頭の「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細
くたなびきたる。」が有名で、私も高校の古文で習い覚えました。約300ほどの段から構成されています。
清少納言の「清」は清原の略称で、宮仕え中の身分が少納言です。貴族の彼女には本名があったはずですが不
明です。清女28歳のとき、一条天皇(14歳)の中宮定子(18歳)のもとに宮仕えに出ます。
その後、一条天皇は定子を皇后に、道長の娘・彰子を中宮にし、紫式部は彰子に仕えます。定子は第2皇女を
生んで亡くなり。清少納言も36歳で務めをやめたようです。宮仕えのあと清少納言は、かなり貧しい暮らしだ
ったようです。
紫式部は「紫式部日記」のなかで「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人、さばかりさかしだち、
真名書きちらして侍るほども、まだいと足らぬこと多かり。」とあんまり良くは書いていません。
中関白家は藤原道隆を祖とする一門の総称ですが、摂関の権威が飛躍的に向上した兼家が亡くなると道隆が継
ぎ、この盛時の様子が「枕草子」に描かれています。
「枕草子」のあとがきで清少納言は、内大臣から定子に贈られた(当時高価だった)紙をいただいて、宮仕え
生活の感想や見聞したこと、自然や人生などの随想を書くにいたったのだと述べています。
第2回は10月13日(金)午後1時30分から中央公民館で行います。
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