2017 10 -20 記 松岡 幸雄
10月5日、私は、東京都江東区の地下鉄豊洲駅から晴海通りを南に歩いて、福島県から多くの
避難者が住んでいる超高層マンションを訪ねました。ここは、当初の1,300人→900人→
500人と、自主避難者はこの3月末の期限のため転居し、徐々に減って強制避難者だけになりま
した。4回目の訪問ですので顔見知りの方もいて、「ほっこり」した雰囲気の中で迎えていただき
ました。
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9月末現在で、原子力発電所の事故によって福島県から県外へ避難している方が、今もなんと
34,870人います。その3分の1は「親族・知人宅」に、3分の2は「公営・仮設の住宅」に
避難しているのが現状です。
都道府県別の多い順では、①東京都、4、218人、②茨城県、3,517人、③埼玉県、
3,410人で、ちなみに北海道には1,150人、沖縄県には201人で、福島県以外の全ての
都道府県に「ちりぢり」に避難しています。(参考・福島県庁避難者支援課HP)
体調崩して、「心配」がいっぱい
私が訪ねている「東雲の会」は避難者の自主的な団体で、江東区の社会福祉協議会と連携してい
ろいろな取り組みをしています。毎週火・木曜日13~16時、1階の集会場で避難者同士の交流
の場として「サロン」をオープンしています。法律や健康・福祉などなんでも相談できる窓口があ
ります。いつもわらじなどの手芸品の制作ですが、私が訪ねた時は「展示会に出すのよ」と「押し
絵細工」に皆さんが一生懸命取り組んでいました。(写真)
これまで連絡していた三沢さんは「体調を崩して毎週点滴」と話していましたが、声は力強かっ
たです。快復を強く願っています。集会場にいた顔なじみの大坊さんや二俣さんらに寄り添いなが
ら話をしました。皆さんの口からは「心配」や「不安」そして「迷い」など、ボランティアの私に
話をしてくれてとても嬉しく思いましたし、それだけにしっかり受け止めなければいけないと強く
感じました。
「今のこの避難所に住めるのは、『あと1年』と度々延期されてきたけれども、この先どこに住
むかが心配の第一なの」「今は孫1人と住んでいて、いろんな世話をしているのが『やりがい』に
なってるけれども、ここを出たらどうなるか、とても不安です」「ツナミで我が家はもうないの。
ここを出てからの住む所をどうしようか」旦那さんと2人で住んでいる女性は「福島に帰っても仕
事がない。以前の会社は閉鎖したので、帰りたくても帰れない。だから心配は尽きないのよ」など
・・・。唱歌「故郷」の詞にある望郷の思いは深く「心の復興」はまだまだ見えてきません。
「帰還」は進んでいない
ここに訪ねて来ていた福島県庁の職員と話すことができました。県外避難者の「今後の住まいの
確保先」の『意向』は、80パーセント以上が「避難元」(注・震災前の住所)ではなく「避難先
」という集計表を貰いました。その理由としては学校・通院可の病院・入院可の病院・介護施設な
どの整備状況によるようで、勿論故郷のインフラ整備の進み具合とも関連があるのでしょう。
最近の新聞報道によると、浪江町の帰還者はかっての人口の16パーセント、富岡町はわずかに
3パーセントと現実は厳しいです。避難指示が今年の3月末で大半が解除されたにもかかわらず、
です。
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私は所沢周辺の高齢者施設・自治会館などでマジックのボランティア活動をしています。あの3
・11の翌日の東北3県の4新聞社の朝刊1面を、拡げて見せながら(写真)、大震災の風化を少
しでも防ぎたくて「忘れないで!」と訴え続けていることを、皆さんに紹介しました。私のこうし
た活動の様子が伝わり、今まで以上に心を開いてくれたように感じました。その後、いつものよう
にマジックを披露して拍手と笑いを誘い、ひと時の気分転換を演じました。
まだまだ「課題がいっぱい」です
◎除染が順調に進んでいません。農業・林業・漁業の振興と企業の誘致等による「働く場所の確
保」が急務です。
◎近くの山を切り崩して高台を造成し移転を進めていますが、帰還者が少ない上に高齢化のため
に希望者が計画時に比べて大幅に少なく「街づくり」が思うように進められない等々の現実があり
ます。
◎もっと大きな視点から指摘したいのは、太陽光発電の業者が、これまでは「電力の買い取り制
度」によって増加していましたが、年々買取価格が下げられたために「倒産が最多」との報道が
10月にありました。また、廃炉の研究開発と進捗状況や全国の31件もの「原発賠償裁判」の推
移等にも注目していますが、「原発」も含めた国のエネルギー政策の「転換」が問われています。
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