2017 -11 -04 記 ケン・シェイクスビア
▼私のペンネームはケン・シェイクスビアです。シェイクしたビア、ビールは泡を吹き出します。これは笑いにつ
ながりますのでペンネームにしました。もちろん私はシェイクスピアを尊敬していますし、彼が言葉遊び、ダジャ
レが好きで37の全作品にそれを散りばめているといわれています。また酒飲みでもありました。
シェークスピアと表現する人がいますが、私はシェイクスピアと表現します。
辞書を見てください。発音記号は「シェイクスピア」ですし、尊敬する40代で作品を全訳された小田島雄志先
生も「シェイクスピア」です。
ウイリアム・シェイクスピアは1564年にロンドン郊外の小さな町の町長の息子として生まれますが、父が事業
に失敗してからは大学にも行かず働いて一家を支えます。6歳年上の姉さん女房とできちゃった結婚をし、20代
後半に家族を残してロンドンに出て作家の勉強をします。
▼高校時代、私はESS(イングリッシュ・スピーキング・ソサイエティ)というサークルに入りまして、シェイ
クスピアの英語劇「ヴェニスの商人」をやりました。私はバッサーニオ役で、親友のアントニオがシャイロックに
借金することになりますが、最後にポーシャと結婚します。ポーシャ役の女生徒は可愛かったです。シャイロック
をやったY君とは伊豆や房総などを歩きましたね。
劇は『What ,is Antonio there?』という私の第1声で始まったのをハッキリ覚えています。
▼ハムレット第1幕第2場で、ハムレットは夫を亡くした母ガートルードが1か月ほどで、夫の弟クローディアス
と再婚するのを嘆いて「Frailty,thy name is woman.弱き者よ、汝の名は女なり」と言います。坪内逍遥の訳で
す。小田島先生は『弱き者よ、お前の名は女』と訳しています。これは心変わりしやすい母、早すぎる母の再婚を
嘆くセリフです。
戦後強くなったのは女性と靴下、ストッキングと言われていますが、日本の女性は「民主主義」で強くなりまし
た。絹ではなくナイロン製のストッキングがアメリカで発売されたのは1940年ですが、日本で本格的に普及し
たのは戦後です。国産のパンティストッキングが販売されたのは1968年です。
▼ロミオとジュリエットはシェイクスピアが31歳の作品で、ロミオ16歳・ジュリエット14歳です。ロレンス神
父が若いロミオに「ほどよく愛しなさい」と諭すセリフ、これをCMに使ったのがサントリーです。ウイスキー「
レッド」のCMに大原麗子を起用。「少し愛して 長―く愛して」という有名な言葉です。1980年代の10年間
放映されました。
余談ですが、1965年の「網走番外地」シリーズの第1作に18歳で出演して以降、彼女は5作に出演。共演し
た高倉健を「好きです。尊敬しています」と書き残しています。「長―く愛した」人だったようです。私も「網走
番外地」を見ましたが、♪その名も網走番外地♪とカラオケでよく歌いました。
私は家ではウイスキーはほとんど飲みませんから「少し買って 長―く飲んで」います。 (完)
(これは10月26日「さんさん会」の例会で喋ったものの一部を加筆、修正したものです。)
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