2018 06-08 記 松岡 幸雄
4月中旬、東京都江東区の東雲にある、福島県から多くの避難者が住んでいる超高層マンションを、半年ぶりに訪ねました。7年前の震災直後は約1,300人の避難者が居られましたが、徐々に減って今では強制避難者だけの約300人になりました。
3月末にここから出られた約1,000人の方々は、今どこに行かれたのか? どんな環境の中で、どんな思いで新たな生活を始められたのか、とても気になります。その方々を訪ねて聞いてみたいものです。
たくさんの笑顔に再会して
私の顔を見るなり「あ~ら、久しぶりね~」「こんにちわ、マジックの。いらっしゃい」と何人もの方から声を掛けられました。私は「うわ~、私を覚えていてくれたの? うれしいな~」と、ニコニコしながら声を交わし、再会を喜び合い「握手」を求められました。
今回で5回目の訪問ですので、「友達のような会話」ができることが、ボランティア活動をしている私にとって、最高にうれしいことです。
毎回、マジックの時間(約30分間)を設けていただいています。今回も約30人が、始めは「え?」「あら?」とビックリした真剣な硬い表情でしたが、徐々に冷やかしのことばが飛び出し、それに反応した笑い声が大きくなり、やっと私が思い描いた「ホッとした表情と雰囲気」に変わってきました。
和気あいあいの中で・・・「心配は?」
私の「今、心配なことは?」との問いかけに、いつも電話連絡している三沢さんが「胸がムカムカして、気力がなくなり、もうダメかな~と思ってる」と弱音を吐くと、近くにいた元気なおばちゃんが「そんなじゃダメよ、いろいろ話したり、冗談を言ったりしなきゃ~」とハッパを掛けられていました。
40代の若いお母さんは、「2人の受験生がいて、大変なの。高3・中3の男の子で、反抗期のようで~」と。近くの男性が「親に従順じゃなく、そのくらいが立派に成長していくから、大丈夫‼」と。美味しいコーヒーを入れてくれた60代の女性が「心配? 男がいない、金がない、笑顔がない」と冗談交じりに言い放つと、大笑いが起きました。この雰囲気が「元気の源」のようです。
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「自宅を取り壊す順番が、まだなの」「私の家もまだ先よ」。今もまだ放射能で立ち入り禁止の「フクシマの現実」を今更ながら改めて知りました。
山林の所有者は「除染は、屋敷のみで、山はしてくれない。山に入れないので、木の手入れは出来なく放りっぱなし。これじゃ木は使い物にならない」。農地の所有者は「原発事故で、人がいない!どうしようもない!土地を貸したり借家を貸したりができない」「健康、老後、今幸せか? 皆んな同じ思いよ」と。
毛糸で編みものを黙々としていたおばあちゃんの息子さんが、今も東京電力に勤めていて、その後のことも話してくれました。近くで聞いていた方との会話が、少々シビアな言い方に聞こえたのは気のせいでしょうか?
「では、またね!」
江東区の社会福祉協議会の担当者も変わり名刺交換して顔見知りになりました。初めての出会でしたが「臨床心理士」も一般社団法人から派遣されていて、「どうですか? 元気ですか?」と明るく笑顔で被災者に話しかけていたのが強く印象に残りました。いろいろな方の「生活支援」や「心の支援」の活動が今も機能していて、心強く思いました。
別れ際に「遠い所からわざわざ来てくれて、ありがとうね」と手を差し出されて「握手」をしてくれて、とっても心が暖かくなりました。
まだまだ、関心は尽きません
気になっていることが山ほどあります。◎大震災の経験を後世に伝えるため「震災遺構」の保存を。そのための「語り部」の育成を。◎石巻市立大川小学校のツナミ2審「組織的過失」を踏まえた最高裁での判断。◎大接戦の新潟県知事選挙での民意を踏まえた国のエネルギー政策などへの影響。◎遅々としている原発廃炉の現状。◎被災者への多様な復興支援など・・・。
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◇小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」の講演をネットで聴きました。◇福島原発事故の政府事故調査委員長の「報告書の所見」から「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。」「危険の存在を認め、議論できる文化を作る」と。◇先日発表された「南海トラフ」の危機が迫る・・・「警鐘」です。
この3月に、「大震災7年間のボランティア体験」と題した講演会を2か所から依頼されましたが、予想以上に定員をオーバーする来場者が来られ、まだまだ関心が深く浸透していることを実感できました。
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