ところざわ倶楽部          投稿作品       エッセイ&オピニオン

   ≪一寸庵閑話≫  

           「親日国トルコ」への旅で想ったこと
                                                      
                              2018 -06 -23  
記 ケン・シェイクスビア

▼ノーベル化学賞を受賞したある日本人の先生がテレビで『知識を得ることは2つの「ソウゾウリョク」すなわち創造力(Create)と想像力(Image)を高めるチャンスです。』といっていました。知識を得ること自体ではなく、それが創造力と想像力を高めるチャンスになるという点が素晴らしいと思いました。

▼トルコの経済は現在悪化して、この1年で対ドルのトルコ・リラは30%ダウンし、インフレ率は12%ですから、経済成長率が7%といっても国民の生活は苦しいのです。土産物店でドルや円が十二分に通用します。
シリア難民350万人を引き受けているトルコ。シリアアサド政権を支持し和平交渉に立つロシア・イラン・トルコ。エルドアン大統領の強権的政治を嫌って外国からの投資が進みません。今月24日のトルコの大統領選挙の結果が注目されます。

▼地政学的にトルコという国はボスポラス海峡の東がアジア、西がヨーロッパです。市民は毎日アジアとヨーロッパ間を通勤するのです。トルコからヨーロッパに伝わった文化、たとえばコーヒー、クロワッサン、チューリップ、パプリカ、ヨーグルト・・・。15世紀半ばから第1次大戦までオスマン帝国はヨーロッパの覇者ハプスブルク帝国と競うのです。トプカプ宮殿はトプ(大砲)カプ(門)だとか。


ドーハ空港の巨大なクマ   旅人を癒してくれます



▼イスタンブールからトロイへ向かうバスの中でプロジェクトXのNO.135「撃墜予告 テヘラン発最終便に急げ」を見ました。19853月イラン・イラク戦争の最中、サダム・フセインのイラン上空を通過する民間機撃墜通告の期限が迫るなかで、無償の行為をした人々の努力もあり日本とトルコ政府の信頼関係によって215名の命が救われました。その後、トルコ大地震のとき、救われた乗客や企業は義援金を集めトルコに送りました。♪風の中の昴 砂の中の銀河という中島みゆきの歌「プロジェクトX」が耳に残って消えません。
(インターネットで「プロジェクトX 第135」を見ることができます。)

▼ツアー客28人。ビール、ワインを飲んで親しくなり自分が長老組であることに気づき、その相棒「水戸浪士」と長老会を結成しましたが、何と私が最長老であることに愕然。さらに「狭山市」のご夫婦を発見、「西武線友の会」を結成。4人で飲みました。スマホでホテル、周辺の情報をキャッチしてビールを売っている店や土産物店の場所のほか、観光スポットでは写真を撮る絶好ポイントを教えてくれる貴重な「オトコ添乗員」と親しくなり、ありがたかったです。彼は最長老の私を「殿!殿!」と呼ぶのです。 (^^♪)

19世紀末オリエント急行がイスタンブールまで走るようになり、ヨーロッパ人は青い空と海を想いつつトルコへやってきました・・・。イスタンブール随一の繁華街の路地の喫茶店で秘書と飲んだトルココーヒーとチャイの美味しかったこと!!
 1683年夏、ウイーンを包囲したオスマン軍のパン職人たちが焼いていた三日月形のパン、これがフランスにわたり、クロワッサンになったとか。
14535月、1000年以上つづいたビザンチン帝国が滅び、キリスト教の首都コンスタンチノープルがイスラム教の首都イスタンブールに代わりました。

   
ガラタ塔
348年ビザンチン帝国ジェノヴァ人が建築した見張りの塔 67m エレベーターでのぼり
イスタンブール市内360度が見渡せます。

 
ブルーモスク正面聖壇


土産物店の女将店員のおばちゃん
ハチミツ5本買ったら大喜びしてくれました


▼ドイツの実業家シュリーマンが少年の頃の夢を「トロイ遺跡の発見」で実現したことは素晴らしいと思いますが、盗掘した宝石を売り払っています。

 冷戦時代の今から30年ほど前、検問を通過して東ベルリンのペルガモン博物館に行き、BC3世紀アッタロス王朝の「ゼウスの大祭壇」を見ました。トルコのペルガモンから運ばれた巨大な「盗品」のほか、バビロニアからの「イシュタール門」などに圧倒されました。
 西欧先進国はまさに搾取、強奪、盗みなど勝手放題をやってきたのです。( ̄ヘ ̄)  歴史とはそういうものなのでしょう。   (完)


    
エフォソスの遺跡  
当時の様子賑わいがしのばれます   
 
カッパドキアのラクダ岩
ちょっと似ていますね


ペルガモン祭壇の画像