ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン


東日本大震災リポート  通巻№37

東雲住宅に「ホッとした時間」を

                           2018 10-22     記 松岡 幸雄
                                                      
                           


 10月11日(木)、私は東京都江東区東雲にある超高層マンションを訪ねました。今回で6度目ですが、ここは、東京電力福島第一原子力発電所の事故により福島県の多くの方々が、今もまだ避難を余儀なくされている所です。  

      笑いを届けてきました・「心の復興」

(皆さんが強く印象に残った手品を一つ紹介します)長~いロープの端と端を2人に持ってもらい、その中間を3人目の人に持ってもらった後、その3人が持っていた所を私が持ち替えてから、その中間をハサミで切ってもらいます。そこで「ハイ、立派に2本になりました」。皆さんは「1本にしないとマジックでないよ」と。「じゃ、結びましょう、これでどうですか?」「その結び目を取って」と言われたので別の人にハサミで結び目を短く切って貰いました(写真)がまだ納得しないので、私が結び目にハンカチをかけて引くと結び目が消えて「ハイ、1本になりました!」。皆さんはアゼンとして「え~~~」と拍手。




 私の得意技の一つで、手品の後の茶話会で「どうしてなの?」と強く「追及」されましたが、「余り考え過ぎないで。今晩眠れませんよ」と多くの笑いを誘いました。その茶話会では、初めてですが私に対して多くの質問が集中してきて、これまでの訪問の中で最も盛り上がりました。「江東区に住んでいるの? 何年手品をしているの? 生活の収入は? どこで生まれたの? 特技は? 以前の職業は? 結婚しているの? 奥さんとはどこで知り合ったの?・・・」それに対して、少し笑いを誘う返答を意識的にしたので「それは北島三郎と同じだよ~」などと「大騒ぎ」になってしまいました。

私は、皆さんから今後の計画や悩みなど「胸の奥」を聞き出したかったのに「逆転現象」が起きてしまいましたが、しかし、皆さんの笑い声が長く続き、多くの方の笑顔に出会えて、私の訪問目的の大半が達成できたように思いました。また皆さんの「心のゆとり」を感じましたし、私も楽しかったので、とても印象深く、生涯忘れられない時間になりました。



 【追伸】半紙を切って繋げた手品を見ての感想で、佐々木さんが「神社の飾りのようで、私たちに良いことがあって、幸せになってね! と言っているように感じて見ていたのよ」とそっと話してくれました。私の強い思いがしっかり伝わっているのを肌で感じて、最高にうれしかったです。(上の写真)

今を生きようとしていました・「懸命に」

私と連絡を取り合っている三沢さんの故郷である南相馬市・飯館村などからの避難者の方々は、来年2019年3月に、ここを「退去」しなければならないとのことです。来年4月以降、まだここに残られる方は、原発に近く未だ高い放射線が気になる浪江・双葉・大熊・富岡地区の約200人とのことです。

皆さんは、私が6カ月前に訪ねた時とほぼ同じような「悩み」を抱えていました。一人暮らしだが、息子・娘所帯にムリをかけるので今更同居はしない人。ツナミで帰れる家はなく、再建をあきらめている人。帰村して商売を始めるための補助金申請を模索している人。都営住宅の申し込み枠は少なく、何度も「落選」して思案している人。別居している認知症の義母の世話で多忙な夫婦など・・・決め兼ねることが多種多様で、問題が山積しているのが現状です。

地元の江東区社会福祉協議会から、根本さん竹内さんらのスタッフが派遣され、例えば「東雲サロンだより」の発行、私のマジックのチラシ作成、「子育ての悩み相談」などと、とてもきめ細かな生活支援を積極的に進めているのを見聞きしています。避難者にしっかり寄り添った対応に、ビックリしつつも頼もしく感じました。

最近の新聞の見出しに「原子力・国策・安全神話・廃炉時代・核のゴミ・エネ政策再考の時」とありました。悩み・迷い・辛さ・悲しさ・・・癒えない日々の中、逞しく前を向いて懸命に生きようとしている方々の現実は、いつまで続くのでしょうか?

                ★

福島県の新聞2紙が閲覧できるテーブルを囲んで、お茶・カフェオレ・お菓子・チョコ等をいただきながらのひと時で、ホッとできたのは私だけではないようでした。ありがとうございました。「また頼みます」「また来ます」と言葉を交わして別れてきました。近々また訪ねる予定です。 (2018・10)