10年ほど前、職場の班長さんから、窓辺で育てて一年中咲くと言うハイビスカスを貰い、指し芽で幾らでも増やして、色んな人にやって喜ばれていた。長期間の休みで出勤すると私のハイビスカスが完全に枯れていた。「シマッタ!もう駄目だ」と思ったが、水をやって少しすると、葉の一部分に水を吸ったような感じのところが有るのに気づき、更に見ていると段々それが広がって、一枚の葉が完全に生き返ったのには驚いた。さらにどんどん木は水を吸って次々に元の葉に戻って、何時もの元気なハイビスカスに返った。植物の生命力の旺盛なのには驚いた。
子供のころ理科の時間に、木の葉は炭酸ガスを吸って酸素を出す力を持っていると教わった。この地球上に生息する動植物全て、お互いに関連しあい直接間接を問わずお互いに不思議なように助け合っている。また、私の持論であるが「自然界に有るもの全てどんなものも完全である。」木葉一つ取っても、その形は均整が取れており、その厚さも、機能もありとあらゆる要素において、非の打ち所がない。人間が作ったものはどこか不自然さを伴うものである。自然界のものは、何千年以上もの長い間自然に適応して来ており、不自然な未完のものであれば、自然に淘汰されてもうこの世界に無いはずだからである。それに比較して人間が作ったものは、どうしても考えの及ばない部分が残ってしまう。
私は陶芸を趣味にしているが、一昨日、木葉天目茶碗を作るため、木葉を高温にしていた時、不思議なことに気が付いた。菜箸で木葉が変形しないように葉に触っていたら、水滴らしいものが葉に付いているので、菜箸が濡れていたのかな!と思いタオルでその菜箸を拭いた。しかし、まだ菜箸で触っていない茶碗の葉も濡れているではないか!200度前後の高温の葉に水が付いているはずが無い、どうしてだろうか。葉に含まれる水分は葉全体から蒸発するのでは無くて、ある部分に集まり、そこから葉の外に出るのではなかろうか。更に良く見ると、葉の先端から一センチ弱のところが、最後まで濡れて乾かずにいるのも分かった。
この現象は、「今迄誰も気が付いておらず、私が初めて発見したのでは」と思った時は驚き、身が震える思いだった。その時は木葉天目茶碗の焼成中であり、その後、色々考えていると次から次に色んな考えが浮かんで来た。葉の表面は水を通さないように出来ていて、しかも、葉脈を水が通る時も弁のようなものがあり、一方方向にしか通さないのか!鉢の水が無くなり、枯れだした時に葉が枯れて行くのと反対現象なのか。未だに良く分からない。
葉を高温にすることによって水が出て「水が取れる。」となると、「この原理を何かに使えるのではないか。」と夢の様なことを考えている。葉一つでも色んな力を持っており、人間の考えで自然の現象を変えたりすると、自然界の上手く出来ている仕組みを壊すことになり、大変なことが起こりそうな気がしてならない。遺伝子や細胞を弄ることは、どんなことがあっても止めねばならないと思う。
作陶した皿を乾燥し、素焼きしたものに釉を掛け、椋の葉を灰化したものです。この後、本焼きし、木の葉が焼き付けられます。
上のものでは有りませんが、炭化した木の葉が釉薬に滲み込んで、こんな感じで焼けます。
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