検診、私はどうも!検診の日は、気が重く、気分が優れなく成る。こんな気持ちに成るのは私だけでしょうか。多分皆さん同じでは。もうかれこれ二十年ぐらいに成ると思うが、医務室での検診で、再検に。
(胃カメラの検査) 喉から異物(内視鏡)を強制的に入れることの恐ろしさと、悪いと言われるのが怖くて、行かないことにした。 しかし、「悪いかもしれない!」と言われ、そのままにしておくのは何となく嫌なので、勇気を出して!再検に。 結果は異常無し。 早く受けるべきだった!と反省。 再検は嫌なので、これからは再検に成らない様に、検診の前は節制をすることにした。
其のためか、ここ数年再検に成って無い。
検診で早期に悪い所が発見され、手術をし、成功した例は検診の良い例と言える。しかし、余りにも多くの悪い例を見かけるのも事実である。私が経験した例を次に。
初めに、老人医療について、私の妻のお母さんは、喉が悪いと言って入院、一週間に渡って検査をし、「其の検査で死ぬような思いだった!」と言っていた。そうしてやっと悪いところが見つかり、喉の手術を、ところが直ぐに亡くなってしまった。どことなく割り切れないものが残っている。様子を見ながら、時間を掛けて本人の体力に合わせてやって居れば、まだまだ長生き出来たのでは無いかと思うと残念である。この例を通して「老人医療は少し間違っているのでは!」と医者に話したら、「私もそう思う。しかし、「医者の立場として”治して下さい!”と言って来られると、検査をし、手術をすることに成る。其のくらいはほっといて様子を見ましょう!とは、ちょっと言えない。」と。しかし、医者も、老人の患者も、そろそろ老人医療のあり方について、考え直す時期に来ているのでは!
次に熟年の人間ドックについて、もう相当前に成るが、逸見正孝さんは、癌を公表し、手術をされ、比較的早く亡くなった時に、手術の是非が色々取りざたされた。私は、検診までは「全く元気そのもの」だった人が、検診で癌のポリープが見つかり、胃を全部摘出し、その後抗癌剤を飲み、やせ細り療養を続けて行くうちに弱り、苦しんで亡くなられるケースを多く見かける。何か可笑しいのでは無いか!と疑問に思っている。
検診で発見されたポリープは、昔であれば、見つからずに、自然治癒していたケースも多かったのでは無かろうか。譬え、無くならないにせよ、現状維持か、十年も二十年も掛けて、大きく成っていたものかもしれません。この考えが正しいとすると、手術の必要は無かったことに。痛い目に逢い、しかも胃は無くなり、体にとっては大変なダメージです。私だったら、胃がちゃんと有っても、弱い方なので、胃が無ければ、満足な生活が出来るとは思えない。私は全く自覚症状が無い場合は、胃を取ったりする様な大手術はしない方が良いと思い、手術はしない積りである。
一般検診は、自覚症状がない状態で、進んだ医学の力で悪いと思われるころを発見する行為である。検診で悪いと思われるところが分かり、手術が必要と言われても、私のように手術をしない場合は、検診はしない方が良いことに成る。検診をして、手術が必要と言われて、手術をしないでいるのは、大変なストレスが掛かる。気の弱い私の様な者は、そのことで病気に成るかもしれない。悪いことを知らない方が良い。
大手術が如何に大変なものかを、列挙してみる。
(自覚症状が無かった人の場合)
(1) 今の医学では、ポリープの成長の程度の判断が付かないのでは!
(実証には長時間が・・・手遅れに! 十年も前と同じかも!)
(2) 手術は危険性が大!
(全てが上手く行って初めて成功!)
(3) 手術をする先生等にも、経験、能力、コンデション等に個人差大。
(テニスでも球がやっとネットを越す人も。初めは誰も!)
(4) 不十分な機能で生きるのは大変!
(五体満足でもやっと!)
(5) 手術前後のストレスに耐えることは大変!
(本人、家族共)
(6) 癌は、手術で体力が弱ったところで、成長する危険が大!
(どんな手術でも体が弱る、そこに他の病気が!)
(7)最近は、病院自身に危険が一杯!
(病原菌の巣)
(8)どの病院も手術を希望!
(世の中、金と繁盛大好き!)
(9)その後の生活に大きな制約が!
(定期的な検診、生活に不自由が)
1999、12、3記
11年前のオカリナ同好会の旅行の写真
検診も受けないで元気
左前の大きな写真の方3人はすでに・・・
(平成30年12月11日16:00) |
補足:退職後20年ほど無料検診等全く行ってない。
病気は頻繁になっているが寝て治している。
しかし、治りは医者に掛かるよりも遅い
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