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福島原発、母性文化と平和について

                        2019-3-11

 
                  村田光平
                      (元駐スイス大使)

 

                    

はじめに

世界に欠けているもの、それは哲学と倫理だと思われます。
 福島の悲劇を生んだ原発にひそむ諸問題(廃棄物処理など)を放置しながらの再稼働は不道徳、無責任を象徴するものです。大嘘に支えられてきた原子力政策を今なお改めようとしない政府、電力会社など関係方面の罪深さを痛感致します。

特に、東京から110 キロの第2東海原発の再稼働は、最悪の場合首都機能の麻痺をもたらし日本の命運を左右し得うるのです。原発の安全性に責任を負わないと公言する原子力規制委員会が再稼働を認めることは本来許されない筈です。これに対して東電他の電力会社の巨額の資金支援が実施されるとすれば、国を滅ぼす罪の再犯とすら見なされ得るもので、国民はこれを阻止するために立ち上がることでしょう。

1. 母性文化と平和

最近の世相からは「天地の摂理」が実感されます。天地の摂理は 天の摂理(providence) に代わる私の造語です。哲学により究明される歴史の法則を意味します。これによれば不道徳の永続は許されないのです。想起されるのは老子の「天網恢恢疎にして漏らさず」という名言で、現に悪事が次から次に露見しております。
 日本が直面する緊急課題は、傑出した専門家が警告する福島第一2号機の建屋及びすでに損傷している排気筒が震度7クラスの地震により崩壊し、その結果放射能が拡散し東京も住めなくなるという現実の危機への対応です。そのために一日も早く東京五輪を返上し、福島事故収束に向けて全力投球することが求められます。

 2008820日、北京オリンピックの開幕式に於いて、2008名が繰り出す情景の一つに「和」の文字が描かれたことに深い感銘を覚えました。「母性文化」はアジアにおいて広く共有されるものであり、日本で最も守られてきたことが想起されたからです。本来日本は和と連帯を特徴とする母性文化を有しておりました。明治維新後、軍国主義という形で競争と対立を特徴とする父性文化が導入されました。歴史は父性文化が最終的には破局に通ずるものであることを示しております。
 福島事故は、終戦後導入された経済至上主義という別の形態の父性文化が招いたものです。父性文化は福島という破局を生んだのです。和の母性文化は力の父性文化の治療薬です。母性文化的思考は世界平和の維持に不可欠です。

2. 福島事故の教訓

福島原発事故は、そのもたらす惨禍は人間社会が到底受け入れがたいものであることを示しました。このような事故を生む科学技術は、その可能性がいかに少ないかにつき如何なる数値が援用されようとも完全にゼロでなければお払い箱にするべきであると、故ハンス・ペーター・デュール博士(元マックス・プランク原子力研究所長)は主張しました。エルンスト・フォン・ヴァイゼッカー教授(同名のドイツ大統領の甥)からも全く同感であるとの連絡を頂きました。この「ゼロ原則」こそ福島事故からまず学ぶべき教訓だと信じます。

また、これに劣らず重要な教訓は経済重視から生命重視への転換です。福島事故は経済至上主義という父性文化がもたらした破局です。事故発生後8年をへた現在もこの教訓が活かされておりません。現在の力の父性文明の下では男性が主導的役割を果たしておりますが、この文明を女性も一層重要な役割を担う和の母性文明に移行させる必要性が痛感されます。

これらの教訓を踏まえれば、エネルギー問題は原発から自然エネルギーへの転換が取るべき選択であることは論を待ちません。世界がその方向に向けて大きく動き出していることについては多言を要しません。

3. 日本の世界への貢献

浸透した経済至上主義は現世代の倫理の喪失をもたらし、その結果、現世代は利己主義によって未来の世代を犠牲にし、天然資源を濫用して繁栄を築いています。この倫理の欠如は全世界を覆っており、責任感及び正義感の欠如と相俟って人類と地球の将来を憂慮させるに至っております。この倫理観、責任感及び正義感の「三カン欠如」は、2002年に発行された拙著『原子力と日本病』の中で日本病として警告を発したものですが、改善は見られず今や世界病になっております。

このような世界が直面する危機は文明の危機と捉えるべきです。2001年発行の拙著『新しい文明の提唱~未来の世代に捧げる』で「倫理と連帯に立脚し、環境と未来の世代の利益を尊重する新しい文明」の創設に取り組むべきことを訴えました。これが上述の母性文明の定義です。現在の文明は、「父性文化に立脚する力の父性文明」といえるものですが、これを命に至上の価値を与える「母性文化に立脚した和の母性文明」に転換する必要があります。

この趣旨に賛同し、新たな組織を起ち上げ、女性の社会進出を奨励する動きが内外で始まっております。3年前にはノーベル平和賞に3度ノミネネートされている著名な平和活動家、Scilla Elworthy博士が“Rising Women, Rising World”を発足させております。日本では五井平和財団の西園寺昌美会長が昨年「女性の会」(The Soul of Women)設立しております。

最近の内外での女性の社会的進出は実に目覚ましく、母性文明の台頭が実感されるに至っております。

4. 世界への三位一体の発信

 母性文明は、物質主義から精神主義へ、「貪欲」から「少欲、知足」へ、そして利己主義から連帯へと三つの方向転換を必要とすると考えられますが、その実現には三つの重要な課題があります。すなわち「地球倫理の確立」「真の指導者の養成」及び「経済至上主義に対する文化の逆襲」です。

 地球倫理の確立に関しては、人間を超えた存在を信ずる心が、宗教を持つ者と宗教を持たない者の共通の基盤になり得ます。主要宗教の共通の倫理規範と市民社会の良心を統合することにより地球倫理の確立の有効な基礎を築くことが可能となりましょう。

地球倫理を支えるのは天地の摂理です。天地の摂理は多くの例示が可能です。「不道徳の永続は許されない」「盛者必衰の理」「絶対的権力は絶対に腐敗する」「いつまでもすべての人をだますことは不可能である」「善き思い天が助ける」などです。天地の摂理は多くの文明の興亡に立ち会い、時の試練に耐えております。

「真の指導者の育成」については、真の指導者は人類と地球の将来に責任を持たなければなりません。知性のみならず感性を備えたこのような指導者を社会の全ての分野で育てることが肝要です。「グローバル・ブレイン」はこのような指導者を意味する私の造語です。市民社会の役割は益々重要となります。全ての分野にヴィジョンと理想を備えた指導者を養成することは緊急の課題です。このようなグローバル・ブレインは人類と地球の将来に思いを致すことができるのです。

最後に「経済至上主義に対する文化の逆襲」を取り上げたいと思います。この経済至上主義の概念は仕事場での「リストラ」の例にも見られるように「人間の排除」をもたらしております。効率の追求の行き過ぎは人間の尊厳を損ない無視するものであります。AI(人工知能)の孕む危険性といえます。

 多様な文化と文明、そしてさまざまな宗教の共存は世界にとって大きな挑戦的課題となっております。文化交流は表面化する紛争の解決の鍵になり得えます。人間の幸福は文化無しには考えられません。文化は基本的な倫理価値を増進させます。文化交流は連帯を築くことに貢献できます。人間を排除する傾向が支配的な状況の下で、人間性を回復するための文化の逆襲が痛切に必要とされております。

5.結語

日本は民事、軍事を問わない完全な核廃絶の実現を訴える歴史的使命を有するに至りました。地球倫理、母性文明及び真の核廃絶という三位一体の目標を追求しなければなりません。困難に満ちた厳しい現実にかんがみれば楽観できません。しかしながら上述した天地の摂理こそ、人類と地球の将来に我々が希望を抱くことを可能にしているのです。 

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講師略歴(むらた みつへい)

 1938212日生まれ。

 元駐スイス大使。1961年東京大学法学部卒業後外務省に入省。以後、中近東第一課長、国連局審議官、宮内庁御用掛、公正取引委員会官房審議官、衆議院渉外部長、駐仏公使、駐セネガル大使などを歴任。1999年から2011年まで東海学園大学教授。2000年から2年間京セラ株式会社顧問、稲盛財団評議員。現在、日本ナショナルトラスト顧問、日本ビジネスインテリジェンス協会顧問、東海学園大学名誉教授、天津科技大学名誉教授。

 著書:「新しい文明の提唱~未来の世代に捧げる」(文芸社 2001年)
    「原子力と日本病」(朝日新聞社 2002年)
    「現代文明を問う」(中国語・日本語小冊子 2006年)
    「歴史の危機の入り口に立つ日本」(共著 ごま書房 2006年)