2019 -06 -08 記 ケン・シェイクスビア
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▼4月某日 紅茶の名店「ハース&ハース」へ。歩いて3分、シュテファン寺院のすぐ裏です。上品で白髪のおしゃれなおばあさんがひとりで新聞を・・・。「自分の時間」を贅沢にたのしんでいました。私は「アールグレイ」をティーポットで。添乗員たちはティータイムのあと紅茶、コーヒー、カップなどを隣接のショップで買い物です。シュテファン寺院1359年完成 塔は136.7m。外観はゴシック様式 内部はバロック様式で、私は1時間坐ってすごしましたが、アントワープの聖母大聖堂の方がずっと落ち着きました。近くにに「モーツアルト・ハウス」があります。中は記念館なっていて、モーツアルトはここで「フィガロの結婚」などを作曲しました。
Haas & Haas シュテファン寺院
シュテファン寺院 モーツアルト・ハウス |
ホテルにもどってくる途中で、ラブラドールを連れたホテル支配人ご夫妻とバッタリ!「美味しいレストランを教えて」というと、ご主人がメモ帳を取り出し場所を図示してくれます。ホテルの近くのガストハウス ハッケン(Gasthaus Zu de 3 Hacken)です。
▼ウイーンは会社関係を入れると6回目。 1775年にマリア・テレジアの軍隊がプロシアに勝利したことと戦没者の慰霊のために建てたのが「グロリエッテ」です。グロリアッテまで登るのは今回で3回目。グロリエッテからシェーンブルン宮殿の向こうにシュテファ寺院などウイーンの眺めは絶景です。(#^.^#)
シェーンブルン宮殿 グロリエッテ
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▼楽友協会ホールの「モーツアルトの夕べ」は日本で知りましたが、開始時刻がウイーン空港到着時刻に近いのでチケットを買いませんでした。結局、ウイーン国立歌劇場でRシュトラウスの歌劇「サロメ」を2時間鑑賞。やっぱり生の声とオーケストラの音は違います。終演後、近くの喫茶店で秘書とザッハトルテ、アプフェルシュトゥーデルとウインナコーヒー(メランジェ)を。ホテルまでゆっくり歩いて20分。夜はテレビで「シェーンブルン宮殿庭園コンサート」をワインを飲みながら2時間たのしみました。ウイーンフィルの演奏のあと、第2部はロシア民謡、中国の2胡、タンゴからプレスリーの「Can’t
Help Falling In Love.」もあり、最後はやはりラデッキー行進曲でした。ウイーンらしい番組です。
歌劇場正面 感動の余韻残る歌劇場
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▼4月某日 12年ぶりの美術史博物館。パスポートを提示して「シニア料金」で4ユーロ割り引いてもらって入場です。受付のおばちゃんと「ハポン?」「ヤ―」「ハバナイスデイ」「サンキュウ」こんなおしゃべりするので効率はわるい。@_@) 日本では考えられません。店は平日早く閉め、休日は休みというヨーロッパの「働き方」を学ぶべきときが来ている・・・。(-;-)12年前、私はフェルメールの「絵画芸術」と20分ほど、ひとりで向きあっていました。今回、フェルメール人気のためか大きな部屋に移っています。
フェルメール「絵画芸術」(1966年) ブリューゲル「バベルの塔」(1563年)
ラファエロ「牧場の聖母」(1506年) カラヴァッジョ「ロザリオの聖母」(1607年)
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▼美術史博物館を出て向かいが「ブルク(王宮)庭園」で、ベンチに座って休憩です。モーツアルトの像が花壇のト音記号の前に立っています。ヨーロッパの元気なじいちゃんばあちゃんが通り過ぎた後、うるさい中国人のグループ。なかに数人のジャージー姿がいます。キューケンホーフ公園でも見かけました。やはりちょっと・・・。 @_@)
モーツアルト像 ゲーテ像
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歌劇場の方に歩くとゲーテ像があります。ゲーテは詩人、小説家、劇作家、自然科学者、法律家、政治家です。恋多き天才ゲーテは72才で17歳の少女に恋をし、74才で求婚して断られます。「バカ云ってんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られるでしょうね、多分。( ̄ヘ ̄)「ギョエテとはオレのことかとゲーテ云い」 これは佐藤緑雨の作といわれていますが、ゲーテ像には確かに「ギョエテ」GOETHEと読めますね. (^_-)
▼「ガストハウス ハッケン」で昼食。2時半でもお客さんがかなり入っています。グラーシュ、ヴィーナーシュニッツェル、ホワイトアスパラ、キノコ入りポテトスープにビール、白ワインのシャルドネです。店員がスマートとくればいうことなしです・・・。シャルドネはお替りしました。翌日もまた美味しく・・・。
ガストハウス 3ハッケン 昼膳
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▼4月某日 名残惜しいのですが夕方ウイーンを離れパリへ。ドゴール空港近くのホテルでの夜、大事件。第1添乗員がパスポートを紛失。(>_<)
▼4月某日 午前中 添乗員2人は警察、日本大使館へ。私はホテルで留守番。「3人いっしょに帰れますように!」と祈りました。再読のため持参した城山三郎の「男子の本懐」を読みながら・・・。午後2時過ぎ「渡航書がもらえた」と連絡が入りました。「よかった!」復活祭で受けた聖水のご利益かなと。夜、予定通りのJALで。機内での夕食はもちろん3人の乾杯で始まりました。(^^♪
機長の「本機は.総重量320トンでパリを飛びたち順調に飛行をつづけております」のアナウンスに「320トンか!」と思いました。個人モニター画面で飛行状況を見ていると、高度1万メートルで偏西風が時速150キロなどの表示にも驚きました。パリからヘルシンキ~モスクワ~ハバロフスク~新潟上空を経て羽田です。往路で映画「ボヘミアン・ラプソディ―」を見ましたし、オーディオでクラシック、ホセ・カレーラスの「誰も寝てはならぬ」は繰り返し聴き、JAL名人会も全部たのしみました。満足です。午後4時前 無事羽田に到着。
▼今回の旅行は14日間ずっとよい天気に恵まれましたが、私のわがままを2人の添乗員が実現してくれ,また家族の絆、人々の善意を再認識する旅となりました。第2添乗員は「老親」をよく世話してくれました。感謝の気持ちをこめて「多額の?」添乗員手当を進呈しました。
旅を終えて川柳を詠みました。 『支えられ何もできない爺は飲む』 (#^.^#)
皆さま お読みいただきありがとうございます。 (完)
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