子供のころの田舎
あのころの田舎が自分は一番好き! 今自分は77歳。子供も大人も生き生きしていた。周りとの絆も深く、向こう三軒両隣助け合って。親父が隣の息子が警察に捕まったので貰い下げに行ってくる!と・・・ 目出度く目的を達成!親父が喜んでいた。道は綺麗だった。牛や馬、山羊を飼っていたので道の草は生えると綺麗に!子供の役目は家畜の餌取りだった。風呂が沸き我が家が入り終わったら、隣に連絡、湯加減を聞き、追い炊きは子供の役目!人間社会にとって最も良い時代だったのではないだろうか。
女房の一言
あなた、花が好きだから、小品盆栽教室に入ったら!と勧められ、入会。自分が教室に入って行くのを見と届けて、女房は帰ってしまった。そんな自分でも、その会に自作の花器を使っていた方が居り、羨ましく自分も作りたくなり・・・陶芸を始めた。これが生涯学習の原点になった。
初のサークル立ち上げ
妻に誘われ、ハイキング途中で煙がもくもく出ているのを見て、尋ねたら炭焼き会だった。早速、入会させていただき、ドラム缶窯での竹炭の炭焼き、その窯で陶器も焼いて見た。その頃はちょうど一酸化炭素が出るからと野焼きが禁止され時代だった。センター長から、放置された焼却炉、陶芸に使えないかと持ち掛けられ、野焼き窯の会を立ち上げた。
その会の運営をしながら、将来のために、いろんな会を運営するコツを意識して勉強した。
何か一つ
陶芸の盛んなとこに転属し、夢中になっているころ、岐阜の華道の先生から岡本さん博を付けてくれない!・・・ そのことが有ってから、所沢市美術展に出品。最初、小さな湯飲みを出していたら、審査の先生から、大きいのを出さないと見栄えがしないからダメと言われ、大物に挑戦しだした。その後、市の美術展でも各種賞をいただき、県展でも木の葉の焼き付けた作品(木の葉天目)で数年入選させていただいた。自分の生涯学習の活動を通じて陶芸はバックボーンになってくれ、何か一つ自分の自慢になるものが有ると活動に自信が持てる気がする。
オカリナ吹くきっかけ
炭焼き陶芸の会をやっていた頃、所長さんから鳩笛を岡本さん作りませんか?と手作りの鳩笛をいただいた。ある時、「あなたオカリナの体験教室が有るわ!行かない」と誘われ、オカリナを作るために、二人で体験に行った。教室に入ろうとしたら、岡本さん一人なので開けないと言われ、がっかり!すぐオカリナを買い、教本も童謡唱歌集を見付け、吹き捲った。一月もしない頃、ふと、そうだオカリナ教室を創ろうと思い付き、女房に話すと馬鹿にされたが、自分には先生が居ないから勝手にオカリナ教室を立ち上げることが出来た。
オカリナの町所沢に挑戦
オカリナは凄い楽器、高齢者や音楽苦手なメンバーに最適!そうだ所沢中に広めよう、所沢をオカリナの町にしようと思い付き、まっしぐら!知人に声を掛けたり行き当たりばったりの方に勧めたりした効果もあり、また、市民新聞が取り上げ、練習風景の写真付きで掲載してくれたのが大きかった。70名ほどになった時、会場が狭くなり、打ち止めにした。
サークル作りが趣味
自分はサークルを作るのがどうも趣味みたい!いろいろ作って来た。陶芸教室、オカリナ教室、グランドゴルフクラブ、美術展開催等いろいろ。上手く行ったコツは会を作る時に後継者を決め、二年ほどでバトンタッチ!そうすることは最初から本人に話して置く。そうすると最初から我がことのように頑張ってくれる。すべてそうした!もう一つは金を掛けさせない、すべて、先生には頼まないで自分たちで切磋琢磨!?極め付きはポリシーが「褒め合って楽しく」「あなた、駄目・可笑しいは禁句」。
ふぁみりぃサロンの立ち上げ
所沢市社会福祉協議会の地域交流会が有り、自己紹介もそこそこにして、「おしゃべり会を作りたい!」とぶち上げたら「本気ですか!」と飛び付いてくれた女性の方が居た。・・・ 別途会議を持った。建設的な意見ばかりで会の名称、やり方や実施回数等を決め、昨年の7月、第一週の木曜日にオープンセレモニーを70名の参加をいただき、盛大に出来た。(月一回第一木曜日に実施)先月一周年記念セレモニーも無事終了。名称はふぁみりぃサロン、参加費無料、参加自由(誰でもいつでも)高齢者も子供さんも誰でも!数人の知人で運営している。
こんな調子で
この8月24日は来年のオリンピックのイタリアの選手団にオカリナを吹いて歓迎するため、子供たちにオカリナ指導。(イタリアはオカリナ発祥の地) こんな調子で今年も皆さんの為にまた何か作らねばと鵜の目鷹の目の毎日。
〔日本教育公務員弘済会埼玉支部の作文募集に投稿して「佳作」を受賞した作品です〕
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