2019-11-24 記 松本紀彦
1.旅立ちの想い
永年に亘り行きたい行きたいと心底から願っていた場所です。夢にまで見ていた生まれ育った懐かしい「天津」
にヤット願いが叶って行って来ました。
旅立はつい先日、11月15日から3泊4日の旅でしたが、願いが叶った嬉しさで気持ちは昂ぶりました。何を
見ても食べてもこみ上げてくる歓びで楽しく見物して来ました。
2.天津で生まれ育った居住地の見物
到着翌日の朝、玉上さんから先ずは生まれ育った居住地の「天津市河北区月緯路」に案内して頂き、月緯路に
着いた時には、一段と目が輝き、幼児期に見覚えのある建物や商店は何か無いかと?懸命に路地を眺め廻し
ました。70数年間の時の流れは無情で、街構えがスッカリ変わり、見覚えのあるものは何も発見出来ず、
「浦島太郎」のように実に寂しい気持ちに成りました。
しかし、この街で優しく育ててくれたれた父母や、一緒に苦楽を過ごした兄と姉の事を思うと胸にこみ上げこみ
上げてくるものがありました。
ご案内頂いた玉上さん、本当に有難う御座いました。
3.初日の市内観光
・専用のツアーバスで先ず向かったのは、塘沽区のインスタグラムで有名な図書館です。3階まで広いロビーに
なった珍しい図書館で、2階と3階は何と図書棚のコピーを張り付けて、本物の書籍は在りませんでした。
1階は本物の図書が置いてあり自由に取り出しが出来ます。日本では全く考えられない施設でした。
天津濱海新区図書館
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・次にイオンモールに行き、種々の商品を眺めてきましたが特に欲しい物は見当たらず、結局食料品売り場に
行き、お土産の購入の為に菓子売り場で天津甘栗の菓子などを沢山購入しました。
・昼食は、中国初の未来ロボット・レストランに行きました。ロボットをどの様に使っているのか興味一杯で
したが、調理場から出来上がった料理を客室に運ぶ役割で、それ以上の役目は見当たりませんでした。
4.天津・塘沽の港
・「塘沽」は、終戦の翌年に中国から日本に引き揚げる時に引揚者が集合し、数百万人の日本人が乗船した港湾
でした。
・我が家は天津の自宅から真夜中に日本陸軍のトラックに乗って、ヤット辿り着いた場所でした。父から後年
話してくれた内容では、天津の警官にストップさせれて引きずり出されるところでしたが、これを無視して
何とか逃げ切ったそうです。
・その「塘沽地区」は経済力の進展に伴い大改革されていました。バスから見える範囲でも工業地区、商業地区、
居住地区は拡大していて驚く程に近代的な地域に変身していました。
5.中国の経済成長と主要地域の広大な開発状況。
今回の旅行で一番驚いたことは、最近の中国の経済成長ぶりは、最近のマスコミ情報で判っては居ましたが、
今回来てみて想定以上の進展に大変驚きました。住宅地域は20階~30階のマンション群が広大に乱立して、
それが高速道路の両脇に散在していました。その地域には各種の生産工場が在るそうです。更に教育関連の
開発で高速からは広大な各種大学の建物が見受けられました。これで進めば国民の教育レベルが急速にアップ
し、国力が更に上昇することでしょう。
・高速道路が広大で、車幅が広く片側4車線から5車線が当たり前で、両脇は土地のスペースが余っており、
そこに沢山の植林が見受けられました。また高速道路が非常に多く、そこにベンツ、フォルクスワーゲン、
アウデー等の輸入車が沢山走っていました。日本車のトヨタ、日産、本田もそこそこ走っていました。
・確か30年~40年前の中国は、自転車大国で朝の通勤時間は各交差点に数百台の自転車の大群が密集して
いたビデオを見ました。今はそれが全部車両に入れ替わっていました。今日もそれを目前にして、本当に驚き
の1言でした。経済成長が著しいのは高速路を走っているだけで、周辺の都市環境の進化が次々と目に飛び
込み、実態が良く判りました。
6.話が脱線致しましたが、次の見学の話しに戻ります。
・11月16日の午後は「周恩来鄧穎超記念館」に行きました。天津の水上公園に密接していて広大な敷地に
立派な記念館が建っていて、ご夫妻の写真と貴重な記念品が年代別に沢山展示されていました。中国各地から
の見学客が多くてかなり混雑していました。中国人にとっては尊敬する大政治家なのでしょう。
・「静園」溥儀が命名した、故宮から去った溥儀が一時期ここに居住した様です。
・11月17日は西洋建築が残っている「五大道」、各国の祖界地があった場所で当時はイギリス租界、フランス
租界、日本租界などが在りました。日本祖界のあった地区を見ると商店街に名残りある建物が残っていました。
私の幼児期には家族と良く遊びに来た記憶があります。ここで買ってもらった木製の大きなバスを思い出し
ました。
・次に800年以上の歴史のある「古文化街」に行きました。ここも1日中居たい楽しい街でした。
・天津駅、駅前が広く駅舎も幅が広く大きく立派でした。全員で記念写真を撮りました。
・昼食は天津の餃子の人気店で、美味しい水餃子などを数種頂き大満足でした。
・午後は「菲常完美文化芸術」で中国茶の茶道グループの作法を見学し、名茶を味わって来ました。美人の茶道
メンバー数人がお茶よりも輝いていました。イヤ失礼!
・夕食は玉上さんが在職していた会社の元部下の方々数人と花道グループの美人のリーダーが参加し、更に
天津市の地方管理の高官が加わり、賑やかな夕食会に成りました。店の名称は「全聚徳天津支店」と言い
大きな店構えで、料理も素晴らしい物でした。
宴たけなわの頃にコックさんが現れて「北京ダック」を面前で料理してくれました。
美人の茶道の先生達 玉上さんの元部下と政府の役人 天津のシンボル「天津の眼」
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7.お世話になった方々
・天津旅行のメイン・リーダーの玉上さんには、当初の旅行計画のご案内からお世話になり、その後旅行中には
何から何まで大変お世話になり、帰国後所沢市駅に戻るまで最後の最後までご配慮頂きました。上記の生まれ
育った町にスンナリ行けたのも、中国の天津勤務が永かった玉上さんのお陰です。
天津市に着いた翌日の早朝にホテルから徒歩で約15分と近い場所でしたので、ピンポイントで案内して
下さり永年の想いを叶えることが出来ました。
・他には、日中友好協会の理事を含め、旅行の同行者のメンバーである9人の方々にも何かとお気使いを頂き、
楽しいツアーと成りました。とても感謝しております。
・ホテルで同室だった荒井さんには3日間細かいご配慮を頂き、室内ではとてもリラックス出来ました。小生と
違い、リュック1つに軽バッグ1つで手荷物が少くて、私は何か恥ずかしい気持ちに成りました。旅慣れた方
は違うなぁ~と感動致しました
・安川さんと平松さんとは、同年代と感じていましたが、お話をしていたら何と学年が同じで同級生と言う事が
判りました。岸首相時代に全学連の末端で国会にデモに行ってた事まで判り、小生も同じ事をしていたので
親近感がアップしました。
・現地ガイドの劉さんには旅行の始めから終わりまで素晴らしいガイドをして頂き、現在の中国事情や天津の
観光地区の詳細状況が良く判りました。北京空港でお別れしまたが、最後まで大変お世話に成りました。
謝謝!!
8.旅行記の取り纏め
まだ書き足りない事が沢山在りますが、駄文で恐縮ですが、ここで一旦筆を置かせて頂きます。
以上
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