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一発退場と中村哲さんに見るひとのこころ

                         2020 01-21     記 西脇 英夫
                                                      
                           
 

昨年11月のワールドカップ・ラグビー戦対南アフリカ戦で、カナダのA選手は密集でのタックルが危険とされ、一発退場、チームは敗れました。試合後、「謝まらなければ私の気がすまないのです」と勝利の歓喜に沸く南アチームのロッカールームへ現れたA選手は反則の相手選手を探し握手「次の試合での成功を祈っています」とエール。「乾杯しようぜ」と手渡された缶ビールを脇の机に置いたまま退室。TV映像は、なんとも心温まるノーサイド・シーンの数秒間の映像でした。このカナダの選手たちは、台風19号で被害の釜石市内での汚泥処理に協力しました。

     




 12月には中村哲氏がアフガンで武装勢力の凶弾に倒れたことが報道されました。「ご遺族に哀悼の意を表します」との政府声明ですが、どうしてこの人を見殺しにしたのでしょう。対ゲリラ交渉、資金援助など…なすべき手立てはなかったのでしょうか。水路構築で緑の大地にとの73歳の中村さんの崇高な行為に感動し、「ときに范蠡(はんれい)なきしもあらず」を伝えるべく、カンパの送金先を福岡市役所などへ電話で、メールで問い合わせましたが、個人情報をたてにラチがあきません。私の氏名のネット検索により怪しいものではないことがようやく理解され貧者の一灯の振込送金ができそうで、爽やかな気持ちです。

 のちに福岡市での告別式で中村哲氏の長男・健さんの挨拶は、同時に亡くなったアフガニスタン人の運転手、警備の5名への哀悼のことばからはじまったことを知り、ふたたび涙しました。

 私が携わっている中国古典研究会の1月例会では、次の『論語』一節を取り上げました。

   子曰、過而不子曰、過而不過、是謂過矣     (『論語』第八・衛霊公第十五から)

「子曰く、誤りて改めざる、是を過(あやま)ちと謂(い)う」。人はよく過つ不完全な存在。人の評価はむしろ過ちと知った後の身の処し方で決まる。そこをこそ過つな、と。「過ちては則ち改むに憚(はばか)ること勿(なか)れ」ともいわれ、「小人の過つや、必ず文(かざ)」ると述べる。「文る」とは言い繕い粉飾して躱(かわ)そうとすることです。

 フェアープレイ精神とは対照的に、言い逃れの政府答弁には、「お天道さまは見ているのだよ。名を惜しむがいい」と言いたい気持です。

 住みよい世の中かどうか。内閣支持率の評価は、経済成長率に代わって「ひとのこころの豊かさ・爽やかさ」を評価尺度としてはどうでしょう。

 ごまめの歯ぎしりで歯医者通いの衰老ですが「令和の世」が、お金やAIによる利便の効率化や物の豊富さよりもこころのしあわせがもっと大事にされる時代となるように願うや切です。 

     以上