今、日本を訪れる外国人は日本の文化に魅力を感じて帰る方が多いと言います。
私が思うにこの殺伐とした世の中で日本文化には何か共感を与えるものがあるのでしょう。
日本文化には自然との共存、自然により近づこうという意志が強く働いている。
自然の流れに逆らわない生き方から生まれる日本の文化に接して、“和“、”なごみ“を感じ、それが謙虚さに繋がり共感を与えていると考えます。
欧米人の気質は何事にも白黒をつけたがる、その考えに圧迫感を考える方もいると思います。この私達に“和“、”なごみ“を感じさせる日本の文化の起源は何からか、生まれは何から?
「日本文化の本質は何か?」、「日本文化を世界に伝える上で大切なことは何か?」を振り返って見ましょう。
その一つは日本人の持つ曖昧力が根底にあると考えます。この曖昧力がこの殺伐とした世界の人々に安心感を与えることになっていると思います。日本人は毎日この日本文化に接し、それは自然で当たり前となっている。
特に日本文化の根源をなすと考える曖昧力は日本人の欠点と思っている人が多いと思います。そうじゃないのです、この曖昧力が文化の起源の根底に潜んでいると私は考えます。
和食のさっぱり感、繊細さは“うまみ“から来ますね。日本の庭園、日本古来の建築もしかり欧米の世界観にない自然との調和からくるものでこれも日本人の感性、曖昧力から生まれると考えます。
日本文化の本質はこの曖昧力にあると言いました。日本に住むとその良さが分からない。
日本には四季折々の変化がある、自然力がある。外国から帰ると特にアメリカから帰ると日本の四季から生まれる自然の空気にさらされると日本に帰った喜びを感じるのは私だけではないと思います。
この日本の文化のわび、さび、和食等々、また日本の木造建築、日本庭園、はこの自然の中から生まれ、日本人の持つ曖昧力が遠い昔から育んで来ている成果と考えます・・・。
日本でのロボット産業、日本で造られるロボットに意志があると言います。これは自然界の万物には魂がある、神が宿ると言う思想から生まれたと考えます。西洋、ヨーロッパやアメリカの技術者はそのマネは出来ません。
日本人は自己主張をしない、曖昧は無責任とも言いますが、半面これが美徳とされる風潮がある、これで良いのかと考える必要がある事も事実です。
以下に、韓国生まれの呉善花さんが日本の曖昧力について鋭く評価してくれています。呉善花さんは、『曖昧だからこそ、日本は世界有数の豊かな国になれた』と言っています。
その呉善花さんの『日本の曖昧力』について紹介します。
この殺伐とした世界が日本の魅力に引かれ近づくようになればと思うのは私だけでしょうか・・・。
日本に生きる喜びに誇りを改めて痛感する事を再認識して報告します。
呉善花さんの書籍
『日本の曖昧力』
~融合する文化が世界を動かす~
(PHP新書)
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