ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン


東日本大震災リポート  通巻№41             

「今、どうしていますか?」

                           2020 10-10     記 松岡 幸雄
                                                      
                           

続けてきた「しののめサロン」への訪問を断念‼

 東日本大震災で、東電第一原発の暴発事故によって、多くの福島県民が東京都に強制避難していました。そこは江東区東雲地区の超高層ビルで、その集会室で定例的に開かれていた「しののめサロン」を3月に私は訪ねる予定でした。

9年間も不通だった富岡・浪江間のJR線が開通し、原発近くの除染が進み、3月末に避難指示が解除され、ここにいた避難者は3月末で出ていかねばならなくなりました。今年度最後の「しののめサロン」の開催が、新型コロナ感染拡大の防止で、3週間「サロンは休止」になりました。3月末の引っ越しの関係から「何としても開きましょう」と3月31日が最後の開催日になりました。

               ◆

 この日は、看護師・傾聴の方・話し相手の学生・マジシャンの私とで賑やかな「お別れ会」の予定でしたが、日に日に都内のコロナ感染者が急増し「自粛要請」が出た中で、私は、電車と地下鉄に往復2時間以上も乗ることから、感染の危険を強く感じ、世話役の江東区の社協の方もとても心配されていましたので、悩みに悩んだ末に、8回目の訪問を思い留まりました。

恒例の私のマジック・ショーを「楽しみにしている人、いますよ」と社協の方から聞き、私も「最後なので、なんとしても会いたい」が、とても無念‼でした。皆さんの引っ越し先が、避難指示解除された「故郷」ではなく、都区内や都多摩などでした、と電話で聞きました。「今、どうされていますか~~?」

          原発事故、仙台高裁が「国の責任」を認める

(仙台高裁前・2020年9月30日・毎日新聞)

 9月30日、東京電力福島第1原発事故当時、福島県や隣県に住んでいた約3,600人が国と東電に損害賠償などを求めた控訴審判決で、仙台高裁は、1審に続いて国と東電の責任を認めました。賠償額は1審判決の2倍の約10億円に増額。国を被告に含めた訴訟の高裁の判決は初めてで、多方面から注目されています。特に判決文で「国がみずからの責任で原発の設置を許可したもの」であり責任は免れない、と。福島県会津地方や宮城県南部の原告にも賠償が認められました。大きな驚きと心の底から喜んでいる方々の顔が浮かんできます。全国に散らばっていた避難者の方々、原発立地の自治体の県民をはじめ多くの方々にとって、今後出される各地の高等裁判所の判断に大きな関心がもたれます。

●あの日から9年半。「ある投書」の「声」を紹介します。

題「忘れてほしくない3・11」    (仙台市・女性)

 『・・・今も仮設住宅で暮らす人がいて、突然故郷を追われ二度と戻れない人がいる。行方不明の家族を待っている人や、あの時から時間が止まってしまった人がいる。農業や漁業も震災前の状態には戻っていない。

 福島原発の廃炉の道筋も全く見えていないし、人口減少も深刻さを増している。そうしたことを忘れてほしくない。・・・ひっそりと過ぎていった今年の3・11。私は発生時刻に黙祷し、亡くなった友の笑顔の写真を飾って過ごした。』

 「原発はいずれ消滅します」  前原子力規制委員長・田中俊一氏

    (田中さんは、福島県の飯舘村で暮らしていて、福島県は郷里です)「・・・・私は「核燃料サイクルの実現は技術的に無理だ」と言ってきたので『村八分』の存在です。使用済み核燃料を再処理して高速増殖炉でプルトニウムを増やして・・・と言っているのは世界でも日本だけ。「安全神話」も私は信じていなかった。科学的に『絶対安全』はあり得ない。日本の原子力政策はうそだらけでした。・・・」 (2020・3・6「毎日」 )

「東日本大震災・原子力災害伝承館」

9月20日、福島第1原発事故の記録や教訓を伝える初めての公立の施設が、福島県双葉町にオープンし、館内には、津波で流されたポストや住民の避難状況を記録したホワイトボードなど、原発事故直後の緊迫した状況を物語る150点の資料が展示されています。ぜひ訪ねてみたい。 

                                    (つづく)