ところざわ倶楽部          投稿作品       エッセイ&オピニオン


   
     
「馬鹿丸出し(その4)」   
                     
                             2021-2-18 記 岡本 詔一郎
                                       

   

「神炎」 ~焼き締め壺~

 自然焼きと美濃詔金に夢中になっていた時に、びっくりするような壺が獲れた。それは、器の全面に炎の模様が走り、自分でも二度と焼けそうもないものだった。恐れ多くも、名前を「神炎」と命名した。自分が言い出しっぺで始めていたメンズクラブの美術展「第5回アートで迫るおやじ達展」市役所市民ギャラリーに出品。好評で、新聞の地域欄に紹介された。家に置くより何処かで、飾って貰うと思案した。現在、とんでもないとこで、15年以上も飾って貰っている。


県連盟華道展で自分の作品が!

 岐阜に勤務していたころ、お花の先生と職場絡みで知り合い、「岡本さん、県の華道美術展に出品したいから、大きな花器を作って欲しいです」焼き締めの大物50㎝以上を作って一個差し上げた。他に手持ちの大花器をお貸しした。その華道展は岐阜市内の華道連盟加入の華道教室が競って出品していた。我が先生は個人で「岡本さんの花器尽くしで纏めたので見て下さい」と大掛かりな連華を飾っていた。「岡本さん、みんなから花器はどんな方の作品と聞かれ、いろいろ活躍している方よ!」と言って置いたけど、箔を付けて欲しい!と言われ、その後、自分の陶芸人生が変わって行った。


木の葉焼きを思い付く

 陶芸をやっていても、サークルとか先生のとこで、焼いており、自分の窯は持ってなかった。「妻からあなた窯買ったら!」言われ、変わった小さな窯を買った。極楽窯、この窯を作った方が異色の人で、窯元にも出向き、じかに話を交わし、自慢話を聞かされた。その話の中に「木の葉天目茶碗も焼けるよ!」があった。その時、パチンコの玉で何とか!と言ったような気がし、それがヒントとなり、木の葉焼き一作目が生まれた。二度目焼いた時は全く出なかった。木の葉焼きは実物の葉を皿に置き、そのまま葉脈等が模様になって焼き付くもので幻の技法と言われていた。


木の葉天目茶碗 1個50万円

 一作目を焼く前に、木の葉天目の出ている本を漁ったが、焼き方が書かれたものは全くなかった。それで、実物が観たくなり、銀座に出向き、銀座「陶苑」に!木の葉天目茶碗は店頭には無かった。しつこく、買うそぶりを見せて言ったら、2階から出して見せてくれた。幾らか聞いたら、50万円とのことで諦めた。これは明治の陶芸家で人間国宝の石黒宗麻呂の作品だった。焼き方を探したが見つからず、「日本の陶芸」に幻の技法と紹介され、写真付きで出ていた。