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「ヘイトクライムに想う」 

                            2021 5-9     記 玉上 佳彦
                                                      
                           
 

アメリカでのアジア系住民に対するヘイトクライムが急増している。この傾向は、人種差別主義者の前トランプ大統領の責任が大きい。BLACK LIVES MATTERに対する彼の対応には、世界中で避難を浴びていた。しかし、白人至上主義者は、矛先を黒人に対してだけでなく、その延長線上に、中国人をはじめとするアジア系住民に対して、攻撃することが多くなってきている。

日本人にも潜在的にそのような傾向があるのではないだろうか。特に朝鮮系住民に対するヘイトクライムとまではいかないが、ヘイトスピーチが、かなり多くの地域で問題化している。大阪の鶴橋や川崎、新大久保などの朝鮮系の人が多く住み、働く地域では、激しいようだ。

 私自身は、朝鮮系に対しては、あまり気にはならないほうだと思う。大学には同級生も多くいたし、会社にも朝鮮系の社員が何人かいたので、意識することはなかった。

 しかし、黒人に対しては、特別な気がする。真っ黒の肌の色は、なかなか同じ人間と考えにくいという気がしていた。なぜだろうか? 我々日本人にとって、アジア系の人々の肌の色はほぼ同じなので、違和感は感じにくい。率直な私の気持ちを述べると、「黒人は人間」ではない別の存在なのではないかと思っていた。

 以前、私が商社勤務時代に、フランスから医薬品中間物を輸入する仕事を担当していた。その時に、パリに出張することがあり、空港で迎えに来てもらった担当者が、カメルーン出身の真っ黒な黒人であって、びっくりした。これまでTELEXを使って、英語で連絡を取り合っていたので、相手が白人のフランス人と思い込んでいた。彼は、きれいな英語で話し、その日は歓迎の意味を兼ねて、私を自宅に招待してくれた。カメルーンの親族・友人らを呼んで、カメルーン料理で、大変楽しい歓迎の宴だった。そこで、私が気づいたことは、真っ黒な黒人でも、差別なく私を厚遇してくれて、同じ人間なのだということであった。その後、英国、ベルギーなどのヨーロッパ諸国に足を伸ばして出張を続けていたが、旧植民地時代の宗主国には、アフリカ系の住民が多いのを気づく機会となった。

やはり、人との交流は肌の色、民族、文化、言葉の違いなどの先入観をもっていては、いけないことだと気付かされることになった。

最近のニュースでは、日本でもバスケットボールの選手八村塁、亜蓮兄弟に対するSNSでの人種差別的誹謗中傷が常習的になされているという、悲しい現実があることを憂いてしまう。所沢にはブロンコス所属の黒人のバスケット選手がかなり住んでいる。私は、彼らとコミュニケーションをとりたいと思っているが、なんとなく躊躇している自分をもどかしく思っている。