三種の神器
私は医者嫌い!原因は、お金を掛けたくない!が身に付いていたのかも。子供の頃から、親の医者嫌いを見ていた所為でもある。93歳で亡くなった親父。藁切りで手を切っても藁で血止めをして治す。大の病院嫌い。そんなおやじを見ていたこともあり、自分は、何時のころからか?市販の胃薬の正露丸、風邪薬のルル、塗り薬のオロナインを三種の神器と称して持ち歩き、これだけで治して来た。
痰
30代前半のころ、無理がたたり、風を拗らせて入院したことが有る。1週間たっても病状が変わらず、先生に退院します!と申し出て、次の日から出勤した。ルルを飲んで何とか凌いでいたが、痰が毎朝どさっと!職場の庭の木陰に隠れて。出すだけ出すとスカッとし、また次の日!こん生活を三か月続け、いい加減、頭に来て、2月の寒い中、職場のマラソン大会が有り参加、それを機会に良くなった。その時に、一緒に参加した先輩は、走っていて倒れ、そのまま亡くなった。
ある時
職場の医務室の先生から、レントゲンの結果が出て呼び出され、看護婦さんと一緒になって、レントゲンのフイルム2枚を見せられながら、今にも死ぬと言わんばかりに入院するように言われた。拒否したら、前にレントゲンを撮ったことが有るかと聞かれ、1年前撮っていますと言うと、看護婦さんに調べさせ、有ったと見えて、それを前に置いて睨めっこ。黙っているので、どうですか?と何度も! 返事は「前と変わらないから、問題ありません。」一言。多分20年ほど前の酷かった痰の痕跡を見てビックリされ、重病と判断したのだろう。
その後
いろんな病気を経験した。職場関係の学校入校中、顔面麻痺が起こり、関係病院へ、医者から即入院と言われ、「待って下さい。近くの医者に行きます。」と。帰りに、近くの医者を見付けて行ったら、大きな注射を喉に刺されて、「効くのですか?」と質問、「効くか試している!」と、「薬にして下さい。」とお願いし、退散。結局もらった薬は飲まず、必死で自然治癒を待った。また、20年ほどして麻痺になったが前回の経験があり、薬も飲まずに、爪楊枝で治した。私はそれ以来、市の無料検診等にも行かず、体調を壊しても、病院には行かずに、もっぱら自然治癒に期待し、休養を取り治して来た。
痰もどきの話
自分は頻尿で数回起きてトイレへ!その度に、喉に溜まったものを出す習慣が有った。ある時、ラジオで「喉に溜まったものは飲み込まないで出すと、健康に良い、長生きする。」とこんなことを言っていた。この時、これが自分の健康法だと決め、トイレに起きる度に痰もどきを出す習慣が付いた。ところが、7年ほど前から、昔ほどではないが昼間、外でグランドゴルフをしている時でも痰が出だした。例によって隠れて咳をして出していた。
これが高じてお仕舞いかなと思いながら、経過した。その時期、体調が可笑しく、風邪気味だったり、眩暈がしたり、直すのに一苦労した。
好きなことを止め
その時期に、好きなテニス、俳句、詩吟を止め、オカリナや鼻笛作りは手が出ず、中断した。そうしたら、何時の中間か痰の量が減って行くのが実感として分かりだした。理由を探ったら、どうも、陶芸の時に粘土が知らず知らずに、口から肺に入るからかも分からない!と思い付いた。その途端に、オカリナ作りは止めた。鼻笛作りは一番佳境に入っていた時期でもあり、~歌う時のようにやさしく吹ける鼻笛を作りたい」の一身で舐めるようにして、音を出し易い鼻笛を造り続けた。しかし、いい加減にしないと死んでしまう!と思った途端に、鼻笛作りに手が出なくなった。
その努力の甲斐か
昨年、自分が立ち上げたグランドゴルフをしている最中も、これまでと違って、痰もどきを隠れて出すことも無くなった。とは言え、夜のトイレに5度ほど行く度に、痰もどきはまだ出ている。しかし、だんだん薄くなって来ているようにも思う。頻尿には足に枕をして高くすると良い!とテレビが報道していたのを真似てやりだし、回数が減ってきた気もする。痰もどきの為には頻尿の方が健康的かも!
両方改善されると
有難い! トイレの回数も減り、肺の不具合も鼻笛作りを止めて、粘土に触れなくなり、悪いとこも治り、痰もどきが溜まらず、普通の方と同じようになり、トイレの回数も減り、痰もどきはちょうどいい程度に出せる。こんな良いことは無い。自分の体に感謝!自然治癒力のお陰!ちょっぴり無い知恵を絞り努力したお陰と自分を褒めてやりたい。
自然治癒力って凄い
78歳 5月で79歳 こんな暢気なことを書いていられるのも自然治癒力のお陰
側道坂散歩
自然治癒力に頑張ってもらう為には、自分も努力したいと!
毎朝、家の横の百五十メートルほどの舗装道路を5往復歩いている
上り坂は早く!を心掛け、段々、スピードが上がってきている気が!
現役のころよりも、今の方が元気かも!
痰の役割
一見、悪に見えることも、人間にとって、全部大切なことのような気がする、痰も肺の中の不要なもの・悪いものを痰と言う行為で外に出している。そう思うと痰が有り難く見え出すから不思議。癖も、痰ほどで無いものを簡単な行為で出しているだけ。しかし、余りにも酷い状態になったら、痰に頼るだけでなく、その元凶を良くする努力が必要である。痰もどきに感謝するとともに、節制し、痰に頼らないで良いように努力したい。
~肺の壊れた細胞を取り出して呉れて、痰もどき様、有難うございました~
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