短歌: 豊川の別府(びゅう)に生まれて風と生き思えば叶う夢の世界も
豊川村の駅館川の近くの別府に生まれた。 (現在大分県宇佐市)
生まれた時は、オギャーと泣かず、
産婆さんやみなさん 叩いたり、お湯に浸けたり、あの手この手で・・・
鳴き声を発した時、皆さんで喜んだらしい
母の顔が目に浮かぶ
その産婆さんは
お腹が大きかった
その子が同級生の女の子で
岡本さん 背中が曲がって居るよ!と郷里に帰った折に
その後、間もなく、亡くなった 寂しい
豊川は思い出が一杯
豊川には高校までしか居なかった
河原が好きで泳ぎながら、鮎を手作りのヤスで捕ったことも
豊川小学3年の時の力徳先生 忘れられない
悪戯が切掛けで日直の時、呼んでくれ仲良く 立ち直った
お袋とは
畑に良く連れられて行かれた
下肥を天秤棒に担いで、畑まで運んだことも
一度切り
教育の為だったのかな
親父とは
牛との思い出が多い
牛は角が有り恐ろしかった
小学生の頃、鍬を牛に曳かせて畑を耕したことも
投網投げも教わり、鮎を! 鰻はウナギ手簿で捕った
姉弟4人
上の姉とは喧嘩せず、良い仲だった
二番目の姉とは、ずっとライバル意識が強かった 孝子!と呼び捨てに
今ごろ反省! しかし、今の自分は姉のお陰で鍛えられた
弟は5つ下で子供のように可愛がった 亡くなった 残念無念
弟の嫁さん
ふるさと別府を守ってくれ、頭が上がらない 感謝!
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