ところざわ倶楽部          投稿作品       エッセイ&オピニオン


   
   
    「お袋 」   
                     
                          2021-11-15 記 岡本 詔一郎
                                       

   


 何でも作ってくれた

学生帽をお袋がビロードで作ってくれ、小学校6年間被り続けた。 友達の帽子は買った素晴らしいものなのに、私は一人変な形の帽子! 嫌だったが何故か何も言わずに・・・お袋は器用で、色んなものに挑戦し、純毛のセーターまで!並ではなくて、羊を飼い、羊の毛を大きな鋏で刈り、その毛を大きな釜で煮て、今度は干して乾燥させ、次は特殊な紡ぎ器で紡ぎ、その紡いだものを一箇所摘んで回転させながら糸を作って・・・更に、それを染め、セーターに!
気が遠くなるようなことをして、私に純毛のセーターを編んでくれた記憶がある、色は確か緑色だった。思い出せば、色んなものを作っていた。 豆腐や油揚げも!自分が今陶芸を趣味として楽しんでおられるのも、お袋の血を引いているからかも知れない。 感謝!


 自分は酒もタバコもだめ!

しかし、少し飲むのは好きで毎日缶ビールを飲んでいる。 酒はほとんど飲まない、前の年の正月の酒が残っていることもしばしば!親父の血を引いてどうも飲めないらしい。 親父は少し飲むと真っ赤になってほとんど飲んでなかった。 お袋のお父さんは警察署の所長を日田でやっていたらしいが、酒が好きで、ご飯はほとんど食べずに、お酒だけだったらしい。 そのかわりタバコは全く呑めずに、ニコチンが行ってないタバコをふかしていた様だ!お袋はお屠蘇ぐらいしか飲んでいるのを見てないが、ある晩、こそっと酒を飲んでいるのを目にしたことが! 好きだったのかもしれない。今考えると、好きなら呑めば良かったのに!と思う。そんなわけで、自分はタバコも吸えず、酒も飲めない、良かったのか、悪かったのか!?


 農業は始めて

自分は、お袋が親父に何時も作業の指示をされて農作業をしている姿を見て育った。上手に農業をやるので、子供の頃からやっているものと思っていたら、警察官の娘だったらしくて、全く土など弄ったことは無かったことが大きくなってから分かった。当時の女の方はみんなお嫁に行った先が農業をやっていれば当然・・・


 選挙の話

お袋は親父よりも政治に関心が強かったような気がする。 子供の頃、姉から聞かされた話で、姉はお袋から聞いたのだと思うが! お袋が女学校時代に臼杵に住んでいたおり、凄い町長選挙があり、二つに分かれて泥仕合になり、お袋の父は警察署の署長をやっていたことも有り、署長官邸にデモが押しかけ、玄関に出て、父は一席ぶった! 「お袋は恐ろしかった!」と姉に漏らしていたようだ。


 髪の素

髪が真っ白で、妻から「染めたら!」と以前言われたことがあるが、「自然が好きだから、あるがままで良い」と言って染めないで来ている。 しかし、現役のころは染めていたこともある。思えば、偶然だが、自分も今椿油は付けている。 染めているわけでは無いのに、少し黒くなるから不思議! ~お袋も椿油ぐらいは付けていただろう~


 株の話

堀江モン逮捕で昔を思い出した。 お袋は親父よりも金銭的に敏感なとこがあり、親父に「今度新しく出来る道路の近くに宅地になる土地が有るから買ったら・・・」と言っていた・・・ 
どうも、お袋は親父に内緒で親父の退職金で株を買ってしまい、大損をしていたらしい! お袋にはそんな一面も有った。



 名前は君枝

私は自分の名前に今ほど感謝していることは無い。 インターネットで自分の名前「岡本詔一郎」で検索すると同姓同名がいないので、自分のことだけ! 姉の名前で検索すると違う人が一杯、見る気もしないほど。
母は当時としては珍しく子が付いてなくて、男の名前でもある君枝、余り気に入っていないようであった。 今は、女の子は子を付ける人は居らず色んな凝った名前が多い。
自分の名前はひらがなで書くと11字大変だった。習字の時には特に! パソコン時代に
なって今は感謝!


 お袋の看病父が!

お袋と父は7つ違いだった。 その父がお袋を最後まで面倒を見た。 お袋は余り愚痴も言わずに良く親父の言うことを聞いて、農作業をしていた様に思う。 要はこき使っていた感じがする、そんなこともあってか、お袋がやや軽度の認知症になってからも良く面倒を見ていた。 自分は一緒に生活していなかったので帰った時にしか分からないが! 実際は弟の嫁さんや近所に住んでいた姉二人が面倒を見て呉れていたことと思う。 親父は「俺が面倒を見るから病院には入れない。」と亡くなる一週間前まで頑張っていた。
お袋との最後の会話は、みんなでお膳に直っていた時のこと突然「全部(みんな)分かっているんだから!」と真顔で言った言葉だった。
お袋も親父に面倒を見てもらって幸せだったと思う。



以上

追記

 10年ほど前、個人でホームページ(このHPの「パソコン、HP情報関連コーナー」に、掲載)を持っていた時に載せていたものを、整理したもの。


追記2

 親父は92歳で亡くなり、お袋は親父より7歳下だった。お袋は認知症に掛かり、84才?で、亡くなっている。(20211115