ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン

        「宇都宮まで」 
         
             2022-3-16     記 仲山 富夫 

                                                      
                           
 

 親友の母御が亡くなった。

何年振りかに、宇都宮線のローカルに乗った。
 10年ぶりかもしれない。友人が大宮駅で乗る筈である。

 50年前、宇都宮駅から浅草の下宿に向う列車に乗った。上野駅は汚く、臭く、スモッグの空、人々は忙しく18歳の私の学生服を追い越して行った。これが東京か、これからこんな喧騒な街で生活が出来るのだろうか。

 そんな事を思い出しながら、大宮駅に着いた。なんと美しい駅になっていた。友は乗っただろうか。 畑や林を左右に見ながら、那須岳、男体山を左に置きながら宇都宮へ向って行った。新しい駅も出来ていた。線路は以前と変わらず繋がっていた。

 親友の亡き母を思い出した。二十歳のころと思うが、正月に彼の家に集まり酒を飲んだ。私は、正体なく酔っ払って寝てしまった。友人の母はだらしなく起きた私の着物の衿を奇麗に合わせてくれて帯をきゅっと結んで私の腹をポンと叩いた。

彼の母は、数年前から痴呆が始まり老人ホームへ入居したと聞いていた。

「鈴が鳴って、改札口が開かれた。吾れ先きと手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。二十六七の色の白い女の人が、一人をおぶい、一人の手をひいて入ってきた。列車は直ぐ出た」 「網走まで」志賀直哉著、冒頭の文章が浮かんだ。そのころは宇都宮駅までどのくらいの時間で走ったのだろうか。

「男の子は嫌な目で自分を見た。顔色の悪い。頭の鉢の開いた、妙な子だと思った。自分はいやな気持ちがした。子どもは耳と鼻とに綿をつめていた」「網走まで」

蓮田駅に着いた。すこし止るらしい。友人に電話を入れたが出ない。

私の前の席には白髪の奇麗な老女が座っていた。先ほどから私を見つめていた。私も意識しながら、外を見ながら目を合わせないようにしていた、が「どちらまで」と、聞かれ「宇都宮まで」と応えた。「私は雀宮へ孫に会いに行く」という。それを機に、白髪の老女は孫の話を続けた。

 「「何時頃からお悪いんですか」「これは生まれつきでございますの。お医者さまはこれの父親が余り大酒をするものですからだとおっしゃいますが、鼻や耳はとにかくつむりの悪いのはそんな事ではないかと存じます」「どちらまでおいでですか」「北海道で御座います。網走とか申す所だそうで、大変遠くて不便な所だそうです。通して参りましても、一週間はかかるそうでございます」「網走まで」

 私は、下車した老女の生活を思った。一人暮らしなのだろうか。もう一駅で宇都宮に着く。
私は親友の母御の告別式に行くのだと、改めて思った。私の母は数年前に亡くなった。宇都宮駅に着いた。友は乗っていたのかな。

 「女の人は古いながらも縮緬のひとえに御納戸色をした帯を締めている。自分には、それらから、女の人の結婚以前や、その当時の華やかな姿を思い浮かべる事ができる。更にその後の苦労さえ考えることが出来る」「網走まで」

 改札口で、友に声を掛けられた。満面笑顔の彼は、ますます太ったようだ。雀宮駅で別れた老女に代わって饒舌な友の話を聞く。タクシーの中でもしゃべりつづけた。

 「静かに思いにふけりたいが、そうもいかないな」私達は、知人との別れが日常となってしまった、と思った。

 「この母は今の夫に、いじめられ尽くして死ぬか、もし生き残ったにしても、この子にいつか殺されずにはいまいというような考えも起こる。投函を依頼されたハガキ、投げ込む時、ちらりと見た宛名は共に東京で、一つは女、一つは男名だった」「網走まで」

 久し振りの故郷だから、一泊してもいいな。宇都宮城吊天井跡の二荒山神社へでもいこうかな。陽気な彼と久し振りに飲んでもいいな。彼も同じ思いかな、彼は私に言った。

 「まあ、お互いに年を取ったな」「こんな時しか、会えないんだな」、「お前今日帰るのか?」わたしは、胸のポケットの香典袋を確認しながら、「一万円でいいかな」「いいだろうよ」、彼もわたしも黙りながら、わたしは右側の車窓を流れる宇都宮の街並みを眺めた。