この連休時は、どこへも出かけることもなく新緑をながめていた。
毎日の素晴らしい生育に改めて感動を得た。
この目の前の自然の、この時々の瞬間をどのように表現したらよいのだろうか。詩にあらわせないのである。
一茶の句を読んだ。
「瘦せ蛙負けるな一茶是に有」
「露の世は露の世ながらさりながら」
「老が身の値ぶみをさるるけさの春」
「死下手とそしれば謗れ夕炬燵」
「ともかくもあなた任せの年の暮れ」
これらの句は、人生の苦句のように思えてならない、と評論されていた。
小林一茶は1763~1827の65歳の人生であった。
数年前になるが、金子兜太の俳句教室(通信講座)へ投稿したことがあった。
ただし、忙しい先生ということで拙句をみていただいたことは無かった。
月に、5句の投稿の評価は金子兜太が主宰した『海程』の編集長が観てくれた。
何度目かに投句した私の
「山寺や狐の親子先導す」に対しての評価は、「きっちり書けておもしろいですが、中・下句の事柄がいかにもどうだという作者の狙いが見える点、減点です」ということでB評価になった。
作者の意図は編集長の見るようなことではなく、目に見える如くの物語なのである。
暫くして、この講座を止めたが、同人にならないかと句誌『海程』が送られてきた。
残念なことは、金子兜太に一度も私の句を評価していただいたことがなかったことである。金子兜太は小林一茶の句の世界を目指していた。
小林一茶は新潟県に移り住み57歳で娘を授かったが、しかし娘は幼くして病死した。
そのような背景を思いながらの一茶の句の世界は、悲しい詩になるのであろう。そんな評論があるのであるが、そんなことはないと私は思う。
私の恩師の言葉を思い出しました「他人の格言を信じるな」。
私は、評論家の言葉を信じるなと言うことだと考えている。
私たちは、一茶の生きた時代の背景を観ての評価をしがちなのだが、それだけでは句の世界はみえないのではないだろうか。
以下は、仲山富夫の句の世界である。
「主なき蜘蛛の巣の先降り月」
「馬鈴薯を植えて一日老いるなり」
「秋の野や鴉一羽の踊りおり」
「蜘蛛の糸弓形になり山囲う」
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