ところざわ倶楽部          投稿作品       エッセイ&オピニオン

   ≪一寸庵閑話≫       

         
「古池や芭蕉飛こむ水の音」 

          
~仙厓義梵の人間像を探る~  
      
    
                                                      
2022 -6-11  記 ケン・シェイクスビア   

 


▼仙厓義梵は1750年に美濃に生まれ、11才で出家、19才で初めて武蔵へ行脚、40才で福岡・聖福寺の123代住職に、62歳で弟子の湛元に譲り、87歳で125代住職に戻り、88才(1837年)で亡くなりました。

有名な『〇△□』図や『古池や芭蕉飛こむ水の音』の俳句などユーモアあふれる作品があります。『博多の仙厓さん』と博多の人々に親しまれました。

▼私は福岡に行くと必ず地下鉄祇園駅から歩いて数分の聖福寺に立ち寄ります。聖福寺は1195年に頼朝の寄進により、栄西(ようさい)が開山したわが国最初の臨済宗の禅寺です。




城山三郎『落日燃ゆ』の広田弘毅の菩提寺で、彼の誕生日が私と同じという親近感があります。

▼私の好きな仙厓の作品3

 寒山拾得画賛 中国・唐の隠者 寒山と拾得。二人は経典を読んだり掃除をしたりして一日すごしたとか。相互に理解し合い価値観が同じであればこその境地、それは仏教の教えも同じであると。旨い酒を飲むのも二人で・・・。


堪忍柳画賛 大風にじっと堪えている柳。風が止むのを待っている柳。『気に入らぬ風もあろふに柳哉』と書いた仙厓。まさに人生そのものが『ならぬ堪忍、するが堪忍』という教訓でしょうか。70才代、仙厓の『堪忍』の力強い筆力です。



〇△□ 初めてこの画を見た時、『何だ?こりゃ?!』と思った瞬間は今も忘れません。『神道、儒教、仏教』を表したものという解釈が最有力とか。

〇から△さらに□へと書いたようにみえますが(□の墨のかすれ具合から)、仙厓は□から△、〇へと書いたと云われています。仙厓が『私は修行中の身、三角であり完全な円になっていない』と53才のとき本山・妙心寺の大通住職への手紙に書いているのです。 


▼仙厓は『芭蕉蛙画賛』に『古池や芭蕉飛こむ水の音』や『池あらは飛て芭蕉に聞かせたい』のようにパロディ風にユーモラスに描き、書いています。

病に倒れ臨終が近い仙厓から話を聞こうと集まった弟子たちに云います。『死にとうない。ほんまに、ほんまに』・・・。   (完)

                     【仙厓作品の写真の出典:「別冊太陽 仙厓」】