ところざわ倶楽部          投稿作品     エッセイ&オピニオン

   「フィレンツェの友」     
         
             2023-10-21     記 当麻 実

                                    (アジア研究会) 

                                                      
                           
 

★北極海経由のヨーロッパは遠い★

 10月初め、「地球儀を抱えて」イタリア・フィレンツェに飛び立った。成田では顔認証で出国、これは初めてだ。コロナ禍前のベトナムの「娘と孫」に会いに出かけたときはなかった。飛行機の座席に表示される「飛行ルート」をときどきみる。

ヨーロッパへはロシア上空経由が多かったが、ベーリング海に入って北極海を通過している。スイスのチューリッヒまで14時間余、さらにフィレンツェ空港へ1時間余。ウクライナ情勢で、ロシア上空を通過せず、だいぶ遠回りだ。おまけに燃油サーチャージも高い !

 今回の旅の目的は、6日間のフィレンツェ滞在でルネサンス時代の美術を鑑賞する、もうひとつはフィレンツェ郊外のエンポリに住む友だちに会う、この二つがあった。フィレンツェの美術や建物・彫刻などは、日本でもたくさん紹介されているので割愛したい。


★中山道の妻籠で偶然レオ君夫婦★

 冒頭の「地球儀を抱えて」は、友人のレオナルド(41歳・カバン職人の息子・マティア(7歳)君へのお土産だ。実は、フィレンツェは初めての訪問だ。どうして訪ねたこともない地に、友人を知っているかと思うかも知れない。


迎えに来てくれたマティア君に地球儀のお土産


レオナルド(略称レオ君)とは8年前、中山道の旅の途中妻籠で、いろりをかこんでいる外国人夫婦にであった。聞くとイタリアからだという。レオ君とは、仕事の関係でコロナ前に来日し、都内で一杯飲んだこともある。それ以来、メールで、コロナ禍の生活はどうしているか、などやりとりを続けてきた。

やっと「フィレンツェ行の飛行機切符」がとれた、「行けそうだ!」とレオ君に連絡をした。何回かやりとりした後、「肉やパスタは食べられますか?」と意外な問合せ。「もちろんOK」と返事をした。
こちらの要望も伝えた。「日常生活にふれたい。例えば、マティア君の小学校、スーパーマーケットで買い物、教会、街歩き」など。



★オリーブ畑とブドウ畑に囲まれた家★

フィレンツェ中心街の滞在ホテルにレオ君と子どもが車で迎えに来てくれた。最初はエンポリ駅から訪ねるつもりだった。なにしろこちらは地理不案内。迎えは助かる。中心地からひと山超えてエンポリまで30分、土曜日なので車はすいている。オリーブ畑とブドウ畑に囲まれた彼の家に着いた。奥さんのカティアとは8年ぶりの再会だ。彼女はランチの準備をしていた。

   
レオ君の家のまわりはオリーブ畑とブドウ畑がつづく


  
家は購入したというレオ君の玄関


  
ランチは手作りの伝統的なラザニアと肉料理
    


家から小学校まで約4キロ。「学校はどうしているの?」と聞くと、朝は夫が車で送り、帰りは妻が迎えにいくという。ちなみにイタリアの小学校は5年制だ。マティア君は2年生で、1クラスは24人、全校で120人ぐらいの児童しかいない小さな学校だ。青い制服、青いカバンもあり、給食もでる。

ランチ後、さっそくマティア君の通う小学校にいった。小さな平屋の建物が校舎で、その隣には幼稚園がある。日本の小学校の校舎・広いグランドとはイメージがちがう。エンポリの街は静かだ。大きなスーパーマーケットで買い物した。広い駐車場があり、土曜日なのかカートにたくさん載せて買い物する市民が多い。午後4時過ぎ教会に入ったが、長椅子に座ってお祈りしている人はひとりだけだった。


★トスカーナの田園地帯を訪ねる★

観光都市フィレンツェ市内の人込みから離れると、このあたりはトスカーナの田園風景が広がる。エンボリからさらに西にいくと、有名なピサの斜塔鐘楼)がある。ピサの斜塔を自分の手で支えるポーズをとり、写真に収める観光客が多い。鐘楼は12世紀に建築されたが、その頃から傾きはじめ、800年以上も傾きつづけている。

近くには城壁がのこるルッカの町がある。中世からルネサンス時代の建物が残っている。時間があればのんびりしたい所だ。ちなみにルッカは、「蝶々夫人」で知られるプッチーニの生家がある。フィレンツェの南にはシエナの町がある。なだらかなブドウ畑が広がる。日本ではあまりみられない糸杉が並ぶ。このあたりはうまいワインができるという。


フィレンツェの友レオ君一家、まわりは田園風景


★旅の終わりに感じること★


 旅行中、イスラエルとパレスチナ(ガザ地区)との戦闘が始まった。連日のように悲惨な報道がつづいている。ちょうど50年前(197310月)の第4次中東戦争イスラエルとアラブ諸国との戦争)を思い出す。あの時、私は仕事でモスクワにいた。

その後、20133月、エジプトのシナイ半島からイスラエルを訪ねる機会があった。高い分離壁に囲まれたヨルダン川西岸地区のパレスチナ側に、イスラエルの入植者が押しかけている。とても悲しい現実をみることになる。