【今年の倶楽部祭り(9/27).ドラマティック カンパニーは、シェイクスピア作[へンリー六世]より『ジャンヌ ダルク』 に焦点を当て上演した】
※その7日前、9/20.朝6:10 携帯のベルが鳴った。朗読をご指導頂いてる作曲家.笠松泰洋先生からの熱いメッセージ付きメールだった。
→『音楽つくりました。超力作!!今朝3時に目が覚めたらヘンリー6世のテーマを思いつき(寝たのは1時)、このまま寝たら忘れるかもと結局3曲作りました。なんだか映画に使える規模です。こんな壮大な感じでやってみましょう!』
※プロの先生が!何と有難いこと! 再生する→凝縮された高密度なsoundに思わず惹き込まれる--①繰り返される一定の波形が王冠を巡る壮絶な歴史を連想させる--②狂気渦まく戦闘シーン--③火刑に処されるジャンヌの果てしない苦悩と無念さ--天国に召されていく魂...祈り..
それらは短くも圧倒的な深淵さに満ちていた... ”皆で心合わせ この曲に相応しい朗読劇を!“そう強く思った。
※1幕のジャンヌを担当した//焼けつくような陽の光に頬をさらし子羊の番をしていた少女が、身分違いのフランス王に会いに行く高揚感!育った環境をありのまま打ち明ける素直さ!お告げを聴いた喜びを伝える初々しさ!
〜そんな彼女が王と剣を交えた途端、2人の間にガラリと芽生える恋心〜
..不思議.. 真剣勝負を交わした途端
お互いの性格や心の内まで理解してしまう--
..なぜ?.. フェンシングと剣道/西洋と東洋/そして地域や文化が違っても武道の精神性に相通じるものがあるのかしら..私にとって遠い遠い勝負の世界..
それにしても微妙な心模様をこんな風に忍ばせるなんて! ”シェイクスピアを愉しむって こういうことなのかも..“
二人は戦い ジャンヌが勝つ//しかし未だこの時は「聖母様のお助け、私は弱すぎる」とある。資料によると「剣と旗、どちらが好きか」の質問に実際彼女は"旗“を選んでいる。その後 女戦士となり王や軍人を率いオルレアンを奪還し、高々と勝利宣言する。17歳の乙女が何万もの屈強な軍人を統率し、連戦連勝し、国を救った。想像を絶する強さだけではない、一途な信仰と途轍もない情熱を併せたカリスマ性を持っていたのではないだろうか。
このように振れ幅の大きいジャンヌを「どれだけ表現できたか心許ないが」自分なりの解釈で朗読した。すると先生は「アスリート系でないジャンヌも新鮮」「そのままで良い」と受け入れて下さり、終わってみれば多くの方から好意的コメントを頂戴した。”先生のご指導に従って良かった!“ほっとした。
《1430年イングランドと同盟していたブルゴーニュ軍に捕らえられ、1万フランで敵国イギリスに売り渡される》
※2・3幕は非常に厳しい場面であるが、お二人のジャンヌの朗読表現は見事だった。ヨーク公爵(イギリス側)の鬼気迫る追求に、彼女は怯えながらも毅然と対峙していく。その後 不条理にも(この頃のキリスト教は男装を禁じていた)、異端者と断ぜられ(実際は戦闘と牢番から身を守るためだった…)、ルーアン城の陽も当たらぬ独房に幽閉された。5人の牢番が常に付き、眠ってる間も2対の鉄のクサリに繋がれた。孤独と恐怖で朦朧となりギリギリの脳内状態だったのだろう… ヨーク公爵からの異性に関わる容赦ない詰問に、有らぬ男性の名を次々口走ってしまう…助けを求め必死に..痛々しく…いじらしい…
**活字が呼吸し躍動していく そんな舞台になった気がした**
《ここでフランス側から見たジャンヌの人物像を追ってみたい》
※1412年Janne Da
Arcはフランスの小さな村ドンレミで農家の領主である父親と敬虔なクリスチャンの母親の間に長女として生まれた。母親の影響からか幼くして信心深く優しさに溢れ、毎日のように通う教会での時間が何より幸せと思える少女だった。成長するに連れ、貧しい人々に手を差し伸べ、周りの人々からも信頼されていた。糸を紡ぎ、羊の番をし、家事を手伝う「気立ての良い優しい娘だった」と村人たちは語っている。
ただ文字教育を受けたことがなかった…
ある日ジャンヌはイングランドの兵隊崩れの無法者達が故郷の村を襲撃し、教会を焼き払い、家畜まで略奪するのを目の当たりにした。無邪気だった少女は強烈な愛国心を抱く女性になっていく。
この頃英仏間の百年戦争は大詰めを迎え、フランスは苦難の時代。首都パリを含むフランスの半分をイギリス軍に制圧され、最後の砦オルレアンも陥落寸前。しかも気の弱いフランス皇太子シャルルは即位の目途もつかず、外国へ亡命を考える始末。オルレアンは双方にとってシンボル的存在であり、重要な街だった。ジャンヌは到着後9日間でフランス軍を率いオルレアンを奪還している。
その後形勢は傾き、彼女は1430年当時イングランドと同盟を結んでいたブルゴーニュ軍によって捕らえられ、牢獄に入れられた。14回にものぼる異端審問が行われ、文字が読めなかった彼女は病気による気力の衰えもあり、最終的にイギリスの卑劣な誓約書の署名に同意してしまう…
その後の正式な裁判記録によると、悔悛誓約書(ラテン語)は読み聞かせられたものとは別物であることが判明している...ジャンヌは「もう男装しない」と誓った。しかし、牢番は袋の中に女性の服を隠して渡さず、男性の服を投げつけたという。彼女は抵抗し、何時間も言い争って頼んだが聞き入れられず、それを着ざるを得なかった。結果的に『前言を覆した罪により異端再犯が確定』してしまった。又『教会を介さず直接神と応答しうると信じる』と主張した理由で、最も重い火刑を宣告された。
※ジャンヌは息も出来ぬほど苦しんだであろう…しかし終焉の地ルーアンのVieux
Marché広場に到着した頃には平静さを取り戻し、十字架を持たせてくれるよう頼んだ。あるイギリス人が落ちている小枝でそれを作り渡した。恭しくそれに口づけし胸に忍ばせてもらった。1431年5月30日.最期に“ジーザス ジーザス”と叫びながら わずか19歳で天国に召されていった.. その広場を埋め尽くした1万にもおよぶ人々は涙にくれ、「いたたまれず立ち去った者もいた」とりわけ彼女をイギリスに売り渡したトゥルーアンヌ司教は深い後悔の涙を流したという。しかし、最期まで彼女を支えた貴族の男性は狂うほどの衝撃を受け、彼女のもとへ行けなかった…
※ジャンヌが死去して25年 復権裁判(異端無効化裁判)が行われ、無実と殉教が宣言された。そして約500年後の1920年 バチカン市国のサン.ピエトロ大聖堂で『聖 ジャンヌ ダルク』となった。彼女の活躍はフランス国民のアイデンティティと愛国心を強化し、国家統一と独立に決定的な役割を果たした。そしてフランスを救った『英雄』として崇拝され、現在もなお派閥を越えた政治家のみならず、国民的人気がある。それはフランスに留まらず、今を生きる女性たちに“志を持つ大切さとそれを貫き通す勇気など多くの示唆を与え続けている”と思う。
※彼女の遺した2つの名言を記します。
『生きるために生きるのではなく自らの使命を果たすために生きるのです』
『私達は1つの人生しか生きられないし信じたようにしか生きられない』
※翌日、舞台袖で聴いて下さっていた先生から皆にメールが届いた。
“椅子に座っていても気迫がビンビン伝わってきました‼︎”
音楽
①ヘンリー六世テーマ曲 1.
②ヘンリー六世 戦いの音楽
③ ヘンリー六世 火刑
最後になりますが、笠松泰洋先生はじめ、高橋元リーダー、台本作りなどご尽力された栁澤さん、サポートして下さる仲間達、お世話になった倶楽部関係者とシアサポの皆様に心から感謝申し上げます。
尚、掲載内容については笠松先生のご了承を頂いております。
配役//シャルル:岡部/レニエ:吉田/トールポット:高橋/私生児:三上/ヨーク:田野/ウオリック:方山/羊飼い:根岸/使者:栁澤/ナレーション:1幕:伊藤.2幕:三上/プロローグ.エピローグ:栁澤/ジャンヌ ダルク2幕:大木/3幕:岩瀬/1幕:児新
|